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高校生と三島由紀夫の親和性 「SPAC演劇アカデミー発表」雑感

SPACで1年間指導してきた演劇アカデミーの高校生たちの実技発表会を観に、静岡へ。

楕円堂は晴れていた

一般公開されるということで、それほどキャパがない会場の楕円堂は満席。だから講師(関係者)の私はギャラリーから覗くくらいになるかな、と思っていたのだけれど、行ってみたら宮城芸術監督の隣の席で観劇させてもらえた。

上演前に1年間彼らが取り組んできたSPACの俳優トレーニングの成果を見せて、それから、三島由紀夫の「三原色」を上演する。

演出のあやこさんが前説でなぜこの戯曲を選んだか、ということを話してくれる。
「2002年に初めてわたしが演出したのも、この『三原色』でした。今また高校生でこの戯曲を上演することで、自分自身も新しい体験ができそうに思えた」

20年前。2002年という年に私自身も思わずハッとする。それは私が芸大に入った年であり、つまり宮城さんに出会った年であり、私自身も初めて作品を演出をした年だった。20年も経っていることにも驚きだが、なによりあやこさんも三島がデビュー作だったんだなあ、と偶然の一致に驚く。

三島の言葉に、どうして私たちはこんなに魅せられるのだろう。普通の人間が発するような会話ではない、不自然で骨張った(それでいて見た目は大理石の彫刻のような)言葉の数々。その言葉が応酬される世界の住人になるためには、俳優の身体もまた日常から5ミリは浮遊しなければならない。

この言葉を、大人の俳優が無理なく発するというのは、それこそ美輪明宏さんのように通常世界から常時浮遊しているような存在感を持つ人にしかできない芸当であると常々思っている。(キャスティングされたなら、その世界に届かせるために精一杯の努力をするしかないのだが…)

だが、高校生までの身体というのは、それができる。
私が川崎の高校生たちを指導していたとき、2年に一度は三島由紀夫を上演していたのはまさに、そのためだった。高校で指導していたわたしは、あの言葉を違和感なく発することができる身体が目の前にあることに感動を覚えていた。

もちろん、子どもであればいいわけではない。必要ないくつかのトレーングを経て、それらの言葉に負けない身体の芯をつくらなければ、元も子もない。

だから、本日の発表会で先にトレーニングを見せるというのは、至極正しいことであり、観客も納得するのではないだろうか。ああ、こういうトレーニングをすると、こういう世界を表現できるようになるのだな、と。

以下、「三原色(一幕)」のストーリー(ネタバレしますので嫌な方は読まないでね)

三原色の登場人物は3人。25歳の計一、19歳の亮子(計一の妻)、19歳の友人俊二。3人ともが裕福な「美男美女」で、計一の父親が所有する海辺の別荘に来ている。この年齢設定が絶妙で、25歳の計一は一人自分だけが「大人」になってしまっているという自覚のもとに他の二人と会話をする。19歳の妻亮子には夫の意図も気持ちもわからない。そしてもっとも浮世離れした言動をする俊二。彼は計一が留守にしている間に、月光のもとで彼女が美しすぎたという理由で亮子と結ばれていた。亮子は二人の間で揺れ動くが、俊二の真意は計一と全てが同じでありたいというところにあり、服装などを真似した挙句に、亮子を抱いたとき自分は計一になれた気がする、という。自分と俊二の関係を知っても涼しい顔をしている計一を見て、二人とも自分を必要としてはいないと言う亮子と、亮子がいるからこそ自分たちの関係は美しく完璧なのだという計一と俊二。その円のような関係を三原色と表現し、「人生を始めない」ことを諒とした3人が海を見つめるシーンで終幕となる。

三島本人のあとがきにあるように、すこし煙に巻かれるような感は拭えないものの、まさに、三島由紀夫の真骨頂のような作品である。

私が初めて手掛けた演劇作品は三島の「卒塔婆小町」なのだが、この作品の登場人物も、いや、ほぼ全ての三島作品の男はおしなべて同じことを言う。「成就してしまったらその瞬間から愛は腐る」ということだ。三島の価値観ではおそらく何かを求め手を伸ばしているギリギリの精神力の中にこそ光があり、男はいつもそこを至上のものとし、女はそこを乗り越えた先に行きたがる。だから、決して男女はわかり合うことはないのだ。

さて、高校生たちはこの戯曲とどう向き合ったか。
3人しかいない登場人物は、「二人一役」がお家芸のSPACのこと、二人どころか三人一役(計一)、九人一役(亮子)(笑)。どうやってキャスティングしたのかは聞いてないが、面白いことに、おそらく私でも同じキャスティングにするだろうなあという納得の配役になっていた。
ミュージカル+英語の授業ではなかなか観られない彼ら、彼女らの「浮遊した」身体性から発せられる三島の美辞をたっぷり堪能。隣の宮城さんと笑うタイミングがかぶるかぶる…(汗)

「人生を始めない誘惑」について、終演後に宮城さんから印象深いトークがあった。三島がこの戯曲を書いたのは30歳。16歳で小説を書き始めた三島、その間には戦火があり、東京が焼け、全てが終わってしまったような世界の只中に彼はいた。再び人生を始めるためには、どうすればいいのか? 始めないことは選択してはいけないのか?

三島にとって、始めることは終えることだったのである。

これから人生を始めていく「夜明け前」の彼ら、彼女らがこの戯曲の深さをそこまで味わい尽くしたかどうかはともかく、素直に躍動する身体で私たち(おとな)に三島の言葉の面白さをストレートに届けてくれた。そんな上演だった。

さて、これが終わったらいよいよミュー英も大詰め。
こっちの発表は「演劇的完成度」よりも「熟達度」よりも、外国語をつかって表現ができる楽しさを。そして宮城監督のいう演劇の三要素の中で、もっともトリッキーな「仲間」の部分を、表現、昇華できるような発表にしたいもんだと改めて思った。

さてどうなることやら。
3月の発表+修了式まではもう、3週間なのだ。

(演劇アカデミーについてはこちらのブログがわかりやすいので気になる方はどうぞ↓)


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