伊豆国
はじめて静岡で、年を越せました。
お正月の大地震の警報アラームが鳴った瞬間はかなりへべれけで、三島駅のロッカーに大荷物を預けて安心し、自分としては身軽になった方の軽装スタイルで、人はほとんど歩いていない沼津駅をあてもなく歩いていた。
このようなことを振り返り反芻するお正月になるとは…
以下は、一旦のご挨拶です。
はじめて読む方が居たらギョッとするかもですが、何かのきっかけでこの文字の羅列、匂いに引き寄せられ、目を通してくれる稀有な方なら知ってますね…こういうのが出てきたら落ち込んでると思われるのと反対で、私の心はかなり元気印というか燃えているのだと思う。ずっーと、出会う皆さんに大切に育ててもらい、自らでも育み大きくなってゆく誇りの影で、薄まりつつも決してなくなることのない後ろめたさをも同時に抱く仕事をしてから、色々な出来事につけて、いつも同じ結論に当たって、何となく受け入れてもらえるような口調だったり、泣き言だったり、面白おかしくだったり、その時の調子で変えながら書いてる。('後ろめたさ'を語らなかったり、取り扱いやすくしすぎるのには、私はまだ抵抗があるし、サービスはひどく悪いかも知れないけれど、受けはしなくとも色んな表現には挑戦したい。さまざまな圧で失敗ばかりだけど、時代や流れが変わっていい見方もすばらしい表現も量産されているのも事実だと思うけれど、いいところをみすぎるのも…危いと思っている。裸で生きるほど、慣れるほど、たくましい鎧に覆われ、活力もみなぎるけれど、裸足は裸体は、ガラスを踏んでしまったり、虫にさされたり、そのぎらついたり空疎だったり、それは人の努力ですぐ偉大なるマンネリや日常にたらしめられる媚薬の肌色ウェットスーツの姿、心で、それは妄執だったり、永遠の逃避だったり…外界と接するのは、互いに危険ではある。危険をもないことにして、ご安全に…って回避するなら、最初から家に引き篭もっていた方がよほどいい。何でもできる、誰かが一瞬で運んでくれるし、当座をしのぐ心地よいことも不協和音もくだらないこともわくわくすることもボタン1つでだいぶ探せる。裸足は裸体は危険。それでしか生きられない、生きたくないから人は裸足で裸で踊り出し、踊り続ける)
やっぱり自分の決定的だった怪我から、回復しているとは言え、仕事がロクに出来なかったり、仕事を追われた期間、ダメージ、その前からの生活や仕事、つまり'自分'の崩壊期間はわりと長くじわじわとこれでもかと慎重に着実に激しく壊れてきていたので、国内外他所さまの心を痛めるニュースにも、生きていながら死んでいるようなあってか、何も思えなくなってしまっているのを更に実感した。
それをショックに思う余裕もなければ、すこし前だったら無力な自分を情けなく思っていただろうし、そんな発信やムードを示していただろうし、そういう思いをエネルギーに肥やしにし、振舞う嫌いがあった。今はそれすらもない。
野だったらいいな。埋めたてられたコンクリートの傍から生える雑草と同じかな、ただ生きてる、生かされている、明日にはまるでないことになって生きていなくても全く不思議じゃない、というかそれ以上も以下もない、とか言ってしまうと疎ましがられ、誤解され、それを言っちゃお終いみたく言われてきたけれど、好き勝手お終いなところでずっと生きているよな…だからそれくらい書かせてちょ…とは、新年2、3日書いては消してを繰り返して書く。思いとは、生き方で図太くなってくる。恐れはあるっちゃあるが、ないというかどうでもいい。
たくさん思い浮かぶかも知れない選択肢を遮断することで、必死に自分を自分で守っていると思うし、いざ誰かを何かを前にしたら行動も思考も変わるだろうけど、わたしは人間のように助けを乞うのも人助けもさっぱり駄目で、動物に倣って、ケダモノの誇りを…洗練させようと考えるのは、まだ人間に未練があるのか。
人なのに?人ならば?モノならば?何が違う?
独り言が過ぎてくるので、やっと純な日記に戻ろうと。
7年くらい前はシアターpooだったかな?お客さんとして足を運び、感銘を受け、3年前は『転生』の催しに一緒に出させてもらってガラリと気持ちや何かが自分の中で変わった。
牧瀬茜姐さんと、熱海の幕間で10回くらい『廻』(というタイトルはネーミングセンスのない私には直前まで何も浮かばずお姐さんに付けてもらいました)というちょっとした聖なる夜とひとときを提供させてもらっていました。
このような機会を、お客さん、劇場さん、茜姐さんありがとうございます。
まだまだこの尺で、自分は何をどう、この…やっているか、その…あの…は謎ですが、最終日に映像記録を密かに?撮っていたのですが、お姐さんは仕上がっていました。圧巻でした。見たかった…こちらは来週も引き続き、『廻』れたらなぁ…決まった時間だけは待ってくれない。ただ、時間の感覚だけは延びたり、止まったり…愛は時間を止めるとリリックで表している人がいて、今はおば…はやめようか立派な壮年になってしまい、愛を恐れるように、おそれるならば愛に…なってしまったが、時が止まるような空間は、愛の現れかな…目安でしか語られない自分は清々しく楽チンで淋しくもあるけど、たまには思い浮かべてみよう…愛
年末っぽく?聖なる?性なる?生なる?何だったでしょう…
ピンクショー実演もできることから少しずつ、minoriに戻り、気負いも期待も少しずつなくなり、どう人に移っているか…は想像しないこともないけれど、後ろめたさ、どうしようもなさなどを背負って、踊り…
ありがとうございます。
元旦の朝は、初日の出を見にゆく余裕もなく畳んで詰めて仕舞って運んで…時間は待ってくれない。余しておいたひと口ラーメン分の具材を使い切り、あてのない?気付いたら三年目となった元日の一遍上人追っかけ旅出発
どうやら日に日に働かない頭、壊れゆくのに買いかえるのも厳しい機械を介し、調べてみたら一遍さん伊豆も遊行しているはず、どこ?と思い検索、リサーチをかけると三嶋大社の文字が。とりあえず行ってみよう…と。
わたしがまだ稼業に進む前、浪人生のふりして未来担保に最も映画と覚えたての酒場三昧の頃、堅気のアルバイト先で知り合って、当時から自由な社会人の方だなぁと思っていた大人の方で、昔のブログ(パスワード?この前自分では奇跡的に開けたけど開放まで漕ぎつかずまたよく分からなくなった…)などにはたまにエピソードを書かせて貰っていましたが、『斜陽のおもかげ』事件だったり、何もなかった負のエネルギーを集めためこんでいた風変わりなお嬢さんの根は永遠に変わらないのかもだけど、そんな青春時代のわたしも、思い出す今も、ときめくようなささやかで豊かですてきで、たまに奇天烈に走る体験をご一緒できたH子さんが、お家の用事を終わらせて大晦日の熱海に滑り込んで下さった。
ゴールデンウィークの踊り念仏・前夜祭にもやはり期待はそこまでせず(笑)とも駆けつけてくださったりだったので、きっと今年の追っかけはご一緒すべき!とひらめき、ご用事がタイトなスケジュールで控えているのに、身支度を何度も後ろ倒しに諦めかけそうなわたしに発破かけ、時刻を知らせてくださったお陰で、自由が溢れる伊豆遊行がさっそく叶った。
久しぶりの絵日記?画日記?
こんな毎日。
まだまだたくさんからだ?(かな、あたまや心よりも)とともに蓄積する記憶と思い、踊り生き死にもの狂いになる中で
綴ったら、冒頭のことも随分と伊豆国をさらさらきらきらと流れるせせらぎのようにおさまってきた。身に。
まだ今年もよろしくと結べるような書き出しではないですが、停滞するか、スラスラゆくか分からないので、新しい年おめでとうございますな気持ちを込め第一弾。年賀状、手書き何もできてな〜い。
minori拝
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