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遠くに来たようで、戻ってきただけなのかもしれない

パンデミックが始まって1年2カ月程が経ち、二度目のゴールデンウィークが始まった。私は今年も帰省を断念し、大阪にあるワンルームで静かに息を潜めている。思えばこの一年で自分自身も随分と様変わりした。

昨年のゴールデンウィークは端的に言ってヤバい精神状態だった。イベント系の部署にいる私の担当業務は軒並みキャンセル、またはオンライン開催となり、自分を支えていた現場の高揚感には出会えなくなった。パンデミックの直前には、2年間共に過ごした恋人との別れがあった。一人で過ごす時間が爆発的に増えた。自分の世界が空っぽになった気がした。それはつまり、一人でいる自分は自分にとって無価値な存在に成り下がっているという証拠だった。日が落ちるまで過ごし切ることが苦しくて、意味も無く街を歩き回ったり、息が上がるまで走ったりして気を紛らわせた。

それと比べると、今年のゴールデンウィークは驚くほど穏やかな心で過ごしている。一人でいても以前のような焦燥感は無くなり、心は晴れた日の湖のように落ち着いている。休日には予定を入れなければと躍起になっていた自分はもはや別の人間のようだ。

今思えば、社会人になってからの3年間は異常だったのかもしれない。初めて地元を離れ、沢山の明るい同期に囲まれ、仕事の忙しさと華やかさの中でギラギラとした一種の興奮状態が続いていたともいえる。その興奮はドラッグのように、貴重なはずの一人の時間を苦しい、苦しいものに変えていた。

私は実は生来内気な性格だった。中学までは休日に友達に会うのも煩わしかった。それでいて、男女から好かれる人気者タイプの人たちのことが本当に羨ましかった。いつも彼ら彼女らのようになりたいと密かに願っていた。

高校、大学と進学するにつれて徐々に人見知りを克服し、それなりに社交的と呼べる人間になれていた。それでもまだ、自分は真面目なつまらない人間だという劣等感をどこか拭いきれていなかったのだと思う。

社会人になった私はタガが外れたように人と交流するようになっていた。自分を知る人がいないという解放感と、就活という特殊なゲームがわたしを自分ではない人間にしていたのかもしれない。毎日のように同期との飲み会に参加し、意識が無くなるぐらいお酒を飲む日が続いた。私はとにかく楽しい人間と思われたかった。これまでのような静かに笑っているだけの自分とは、もうおさらばしたかった。

今思えば、一番遠くにいたのはコロナ禍の自分ではなく、入社直後の自分だったのかもしれない。自分ではないような誰かに憧れて、無理をして、いつしか他者との関係性に依存するようになっていた。休日に予定が入らないことに、焦りや寂しさを感じるようになってしまっていた。

一人で過ごすのはずっと昔から得意だったはずだ。友達がいなくて親に本気で心配されていた幼稚園時代を思い出した。(自分としてはあまり気にしていなかった。)部活が終わったらすぐに家に帰りたかった中学生時代を思い出した。


あの頃の自分に今、「ただいま」と言いたい。修行と迷走の日々を経て、27歳の自分はやっとまた、一人の時間を楽しめるようになった。

ただ、どの時代も自分にとって愛すべき日々には変わりない。これからも自分は変わっていくだろうし、色々な日々を乗りこなせるように、まだまだ楽しく修行を続けていく。



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