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続・作品を殺すのは誰か

昨日、【作品を殺すのは誰か】という記事を書いた。
https://note.com/a_reader/n/n011eaa4df870

その後の話を人伝てに聞いたので、少しまとめておく。



現在、作家はごく限られたファンに向けてのみ、続編を販売しているらしい。

ごく限られたファンとは、「作品を読んだらその感想を必ず伝えていること」「何らかの形で作家に貢献していること」などの条件を満たしたファンのことだ。その条件も別に作家が公表したものではなく、おそらくそうしたファンが選ばれているらしい、という推測にすぎない。だが、仮に「貢献」していたとしても、なぜか選ばれないこともあるのだとか。
つまり、ごく限られたファンは作家の裁量で決まるのだ。
まるで選民だ。

そしてそのごく限られたファンにのみ販売したことを、作家が先日、noteで書いたらしい。「○○を買ってくれた方、ありがとう」、と。
礼ならこんなところで言わずに直接言えばいいものを、ほかの人間にも見えるところでわざわざ、だ。

すると当然、自分が「選ばれなかった」ことを知ったファンは、落胆する。同じように作品を愛し、「貢献」してきたはずなのに、なぜ自分は読ませてもらえないのか、と。
どうしたら読ませてもらえるのか、と作家に尋ねたファンに対しては、なんと「どうして自分が買えると思ったのか」と突き放すような返事が来たそうだ。私だったらそんなことを言われたら落ち込んで泣いてしまう。

ファン同士の間でも亀裂が入っているらしい。読ませてもらったファンは、読ませてもらえずに不満を抱くファンに対し「限られた相手のみだ(おまえはその対象じゃない)」「読みたいならもっと努力をしろ」と言う。同じファン同士、作家を応援する気持ちは同じはずなのに。

恐ろしく感じたのはこのあとだ。読ませてもらったファンたちは、作家に対し「今後も精進します」「頑張っていきます」などと決意表明をする。つまり、今後も「貢献」していくのでどうか引き続き私には読ませてくださいね、というお願いだ。

これではまるで宗教だ。教主と信者の構図だ。

いったいどこの世界に読者に精進を強いる作家がいるのか。読者は楽しむために本を読むのではないのか。読者に楽しんでもらうために、作家は本を書くのではないのか。

先の記事でも述べたが、やはりこれは作家による読者への復讐なのだろうか。

「おまえたちが買わなかったから売れなかった。だから続編はおまえたちには見せてやらない。だが、自分に貢献してくれる「信者」には特別に見せてやる。そうでない者はせいぜい指をくわえてそこで見ていろ」

……意地悪な書き方をしたが、こんな風に見えてならない。

私は作家ではない。ただの不真面目な読者だ。だが、アマチュアではないプロの作家を名乗るなら、そのプライドがあるなら、せめて自分の作品を読みたいと、愛していると言ってくれる読者の思いを、踏みにじるべきではないと思う。

そもそも人として……顔の見えない相手に対して、きつい言葉を浴びせることは、作家でなくても一考すべきではないだろうか。