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作品を殺すのは誰か

私には好きな小説がある。
番外編を合わせれば一〇冊を越えるシリーズ作品で、登場人物の一人一人に奥深い設定があり、魅力的で、主人公とともに謎を解き明かしながら進むストーリーも臨場感があって大好きだ。
しかしそのほとんどがすでに絶版となっており、新品を入手することは困難になっている。また、シリーズはまだ完結しておらず、続編は存在するとのことだが、その公開・発売には至っていない。
そのシリーズ作品と、それを執筆している作家と、ファンの話をしようと思う。
とても長くなってしまったので、時間があるときに読んでもらえると幸いだ。

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私は決して読書家ではない。
幼い頃から小説に親しんできたわけでなければ、年間何十冊も読破するわけでもない。たまに読書家の友人におすすめを聞いてそれを読み、気に入れば同じ作家の本をさらに読む、そういったスタイルの不真面目な読者だ。
さらに言えばおすすめされたからといってすぐに本を買うわけではなく、まずは図書館から借りて読む。気に入れば本屋に赴き買う。そうやってきた。もういい大人なのだから最初から買えばいい、と言われるかもしれないが、私の自宅はたいへん狭く、加えて薄給だ。厳選しないとやっていけない。

冒頭で述べたシリーズ作品も、まずは図書館で借りた。すぐに気に入ったので、シリーズをまとめて買おうと思った。
そこでようやく、このシリーズ作品のほとんどが絶版になっていることを知った。

いくら本屋を回れど、取り寄せを頼んでも、在庫がないと言われる。ネットで探しても新品はなかった。件の友人に聞くと、絶版になっているからだね、と言われた。本は本屋で買うものだが、時に買えない本があることをこのとき知った。

新品がないのであれば中古で買うしかない。私は中古本屋を回り、中古の文庫本を探した。幸い、いくつかは地元の中古本屋にあった。見当たらないものはネットで探した。いつか続編が出たときには、その分からは機を逃さず新品で買おうと思った。
これがだいたい、四、五年くらい前の話だったと思う。

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購入した文庫本を読んだり、この作家の別のシリーズ(こちらもほとんど絶版だったため図書館から借りた)を読んだりしながら続編を待っていた、一昨年の六月頃。
この作家がツイッターをしているらしいことを聞きつけ、私は飛び上がった。そこでシリーズ作品の掌編を公開しているらしいとも聞いたからだ。
早速見に行こうとツイッターを開くと、意外なことに作家のアカウントは非公開だった。世の中のツイッターをしている作家は、そこで作品の宣伝もするものと思っていたので、非公開は珍しいなと感じた。だが公開にするか非公開にするかは個人の自由だ。私のアカウントも非公開だ。私は作家ではないが。
恐る恐るフォローリクエストを出すと、すぐに許可してくれた。ツイートを見ると確かに掌編を公開していて、新作を読むことができた。とてもうれしかった。
その後さらに、当時未公開だった続編作品をアマゾンのオンデマンドで発行してくれることになった。販売開始とともに即購入した。待ち望んでいた続編を読むことができたことに胸が躍った。また、新作を次々と読めたことで、今後さらなる続編が読めるのではないかと大いに期待した。

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問題が起こり始めたのはこの頃だったと思う。
ある日、ツイッターで作家が怒っていた。何事かと思えば、オンデマンド作品のレビューに「公式同人誌」という表現で書き込んだ人物が現れたせいだった。このレビューはすぐにレビュー主によって削除されることになるが、この表現は作家をたいそう怒らせた。私はタイミング良く(悪かったのかもしれないが)そのレビューを読んでいたので具体的な内容を知っている。「公式同人誌と言っても過言ではないくらい、男同士がイチャイチャしていた」などと書かれていた(実際はもっと長く熱い「BL的な」感想が述べられていた)。
あくまで憶測だが、このレビュー主は決して作品や作家を貶めるために書いたのではなく、純粋に「萌えた」気持ちを表明した、いわゆる「腐女子」なのだろうと思う。そういった「腐女子」的感想に作家はそれなりに寛容だが、とにかく「同人誌」という表現をされたことが作家は気にくわなかったようだ。これ以降も作家は自分の作品を「同人誌」扱いされることをひどく嫌い、商業作家である自分の作品がそんなもの扱いされるのは不当だ、といった主張をするため、同人文化を好む私はもやもやと感じるところもあったのだが…横道に逸れそうなので割愛する。
とにかく怒った作家は、オンデマンド作品の販売を取り下げてしまった。
結果的に販売期間が非常に短くなってしまったため、おそらく販売に気づかなかった読者もいただろう。とんでもないことになったなと思いつつ、なんだかおかしいな、と感じたこともある。このとき、昔からの作家のファンたちがレビュー主を猛烈に批判し、叩いていた。そして作家を慰め、讃辞を送りまくっていた。レビュー内容は確かによくないなとは思ったが、なんだか宗教みたいだな、と感じた。

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ここから作家はさまざまな方法で作品の公開を試みている。noteでの短時間の無償・有償公開(予告なく深夜に三〇分だけの公開などもあり体力的に非常につらかった)や、自身のブログでの公開(パスワード制のため限られたファンのみが閲覧できる。後述)など。いくつかは喜ばしいことに出版社から売り出され、文庫本になった。しかし出版社から出たものは、版を重ねることはなくまたも絶版になってしまった。
作家曰く、絶版になるのは「売れないから」だ。売れないと出版社に判断された本はすぐに流通に乗らなくなるという。

ここでファンたちは、本を売るために当然宣伝に走った。ツイッターで作品の魅力を呟いたり、出版社や復刊要望サイトに意見を書き込んだりした。私もツイッターのフォロワーや家族や友人に勧めてみた。拡散力も影響力も全然ないので、実際に読んでくれたのは数人だったが。

しかしファンたちはここで思わぬ方向に走り出した。読者の投票により受賞者が決定するとある文学賞があるのだが、そこで作家の作品に一斉に投票を始めたのだ。
その文学賞は組織票を認めていない。ファンたちも決して組織票を入れようとしたわけではないのだが、声の大きいファンの一人が「こういう賞がある」と言ったことをきっかけに、ファンたちがなだれ込むように投票したため、結果としてそう見える状況になってしまったのだ。
確かに組織票疑惑は誤解だが、疑われた際のファンたちの反発は過激だった。これでは仮に受賞したとしても、作品に対しても作家に対しても良いイメージを持たれなくなってしまうではないか、と私は危惧した。実際に賞の運営側はいい顔をしていないようだった。だがファンたちは反発も以降の投票もやめなかった。作家もこの状況は承知しているようだったが、「どうせ最初から受賞者は決まっている出来レースだ」といって何かをしようとはしなかった。
投票結果は二位だったが、喜べるようなものは何も残らなかった。

この後もファンたちの暴走は続く。今度は二次創作作品や各々の妄想をおおっぴらに公開し始めた。中には「レビュー事件」のような「BL的な」ものも存在したが、ファンたちは決してそれを隠そうとしなかった。そうすることがファンの努めであり、隠れることなどもってのほかだと言わんばかりだった。宣伝のつもりなのかもしれない。「BL的な」宣伝をすれば、そういうものを好む人が興味を持って本を買うかもしれないから。だが、「BL的な」ものに関して嫌悪感を抱く人も世の中には当然いる。何の配慮もない公開方法が私は不快だった。

ファンたちと私の間に、とても大きな溝を感じた。

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次第に作家の作品公開の場は、前述のパスワード制のブログが主になった。
ここでは新たな作品が投稿されるたびに閲覧用パスワードを変えられてしまうため、毎回作家に対しパスワードを問い合わせなければならない。問い合わせるにしても、ただ教えてくれと言ってもだめなので、前に読んだ作品の感想や自分の近況などをファンレターのごとく毎回添える。正直、結構な手間だ。いくら好きでも数日ごとにファンレターを書く労力は相当なものになる。だが、そうしないとパスワードを教えてもらえないので、毎回書く。作品はいつまでも掲載されているわけではなく、短くて数十分、長くても数日で作家によって削除されるので、のんびりはしていられない。しかしそうまでしても教えてもらえないこともある。そういうときはとても落ち込む。

さらに、作家はたまにコラムを書く。自身の経験をもとにした内容はたいへん興味深く、作品を読む上での参考にもなる。
ただし、そこには愚痴も入り交じる。愚痴を書くこと自体は別に構わないのだが、その内容がどうにもつらい。

本が売れないのは買わない読者のせいだという。

確かに買わないから売れない、売れないから絶版になるのだが、「昔読んでいました」「好きでした」「懐かしい」という読者の言葉に、作家は怒りを募らせる。そういう読者がせっかく「続きを読みたい」と言ってくれても、今は読んでいないくせに、とっとといなくなれ、と言って追い払ってしまう。いくら我々が宣伝してみたところで、作家自身がはね除けてしまってはまったく意味がない。
加えて、「図書館で読みました」「中古で買いました」も「本屋で売っていないことに対する読者の身勝手な不平不満(そもそも読者が買わなかったせいで絶版になって本屋に並ばなくなったのに)」と作家は捉えるからNGだ。だから作家は私に対してもきっと怒りを覚えるだろう。発売当初に作品の存在を知らなかったとはいえ、新刊を買わず、図書館で借りて読み、最終的に中古本を買ったのだから。
作家はよくエゴサーチもする。それで前述のような意見を見つけてきては、怒り、ふてくされている。自分の作品には価値がないのだと卑下し、時には手元にある本の在庫を焼いたりデータを消去したりという暴挙に出る。
これも作家曰くだが、出版社側は作家の作品をまったく売る気がないうえ、おまえの本は売れないだの、もっと売れると思っていただのと、作家に直接言うらしい。それが本当だとしたらショックな話だが、出版社側の意見を直接聞いたことはないので、真実かどうかはわからない。

いよいよ嫌気がさしたらしい作家は、この時点でまだ残っていた出版契約を次々と切り始め、絶版になった本の復刊の見込みはないと宣言した。
ファンたちもほとんど宣伝をしなくなり、自分たちが読めればそれでいい、というスタンスに移行していった。

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作品公開の場は迷走した。しばらくは例のブログでの公開が続いていたが、どんなメッセージを送っても作家はパスワードをほとんど教えてくれなくなった。どうやらブログは作家の知人や友人といった限られた相手にのみ読ませる場にしたようだ。正直、知人や友人に読ませるだけならメールか何かの見えないところでやってくれ、と思うが、作家は毎回見せつけるようにそのような手段を取る。作品の存在をほのめかしはするが、ファンたちが読みたがっても決して読ませない……まるで絶版になる程に本を買わなかった我々に対する復讐のようだが、これまで必死についてきたファンたちに対する仕打ちとしては結構ひどい。
ではファンたちに対しては今後一切読ませないかというとそうではなく、いくつかは公開するつもりがあるらしい。そのためのプラットフォームを別で探していたようだが、これまでの事情を知らない読者には一切読ませたくないらしく、誰でも読めてしまう場での公開はほとんどしてくれない。たまにnoteの有料記事やアマゾンのオンデマンドで販売しても、販売期間はたったの数時間だけで、すぐに取り下げることを繰り返していた。
この状態が続くのかと思っていたが、ある日、作家はnoteの作家への支援金の仕組みとsend-to-kindleを組み合わせた公開方法を始めた。noteで支援金という形で事前に代金を支払ってもらい、支払ったこととsend-to-kindleのアドレスをツイッターのDMで報告、確認が取れた者からsend-to-kindleで作品を送信する、という仕組みだ。
これには数人のファンが協力しており、報告のあったsend-to-kindleのアドレスを取りまとめ、作家に提出するという役割を担っていたようだ。そこで使用していたグループDMがなんとも奇妙だった。作家とその協力者であるファンを、そのほかのファンたちが讃え、ありがたがり、感謝する言葉がずらずら並んでいた。そうしない人には決して作品を見せない。許可しない。これで離れていくような者はファンではない。もちろんこれまで感想一つも送らず急に「読みたい」と言ってくるような輩には批難の嵐。本当に宗教のようだった。

私はついていけなくなって、作家と作品を追うのをやめた。
作家のアカウントのフォローを外した。あれほど作品が読みたくてフォローしたのに、ものすごく気が楽になった。

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一部省略しているが、これがこんにちに至るまでの経緯だ。
作家の書いた素晴らしい作品たちは、読まれる機会を奪われ、今日も死に向かっている。

こんなことになったのはいったい誰のせいだろう。売ろうとしないらしい出版社か。買おうとしないらしい読者か。出版社と読者に怒り、作品の公開を次々と止め、恨み辛みを口にする作家か。自分たちだけが読めればそれでいい、作家の言うことがすべてで絶対だと排他的・内輪的になっていくファンたちか。

せっかく素晴らしい作品なのに。

シリーズ作品を読み始めた頃、私は事情があって精神的に非常に疲れていた。その頃に読んだこの作品は本当に励みになった。まだ物語は完結しておらず、謎も残ったままなので、できれば最後まで読みたいと思っていたのだが、それは叶いそうもない。
私は発売当初からのファンではないし、ここ数年で読み始めた新参者だ。昔から「追っかけ」をしている「信者」のようなファンたちからすれば、ペーペーが何を生意気言っている、といったところだろう。だが新参者はこう思うのだ。せっかくの素晴らしい作品を、このまま殺していいのか、と。

きっと本が爆発的に売れれば解決する話だ。だが、どうしたら本が売れるのか私にはわからない。

この作品を救う道はあるのだろうか。
それがわかる頃には、作品はすでに死んでいるのかもしれない。


追記:
続きを書きました。よければこちらもどうぞ。

【続・作品を殺すのは誰か】
https://note.com/a_reader/n/nc93df385fd7d