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「考えられてないことがないことがない試合」完成度を高くするために突き詰めていく話

インターネットの海に漂流している青木真也の過去の試合映像を眺めていました。

20代前半の青木真也は若さと希望と自信に満ち溢れていました。
自分の強さに疑いがなく自信がある面構えをしています。どこまでも昇っていこうとする自信と強い自我があります。いい意味で弁えていません。

過去の自分を見て「強い」と思います。
今見返すとちょっと照れ臭いというか、技術の解像度の低さが恥ずかしく感じるところもあります。1人で見るのはいいけれども誰かと一緒に見るのは技術の粗さが恥ずかしくて遠慮したい気持ちです。出たとこ勝負というか、ここまでいけばなんとかなると思って試合をしていたところがあって、現実になんとかなってしまっていたのがPRIDEデビューから4連続一本勝ちをしていた頃の青木真也です。今見返すと危なっかしいし、技術は粗いし、これでよく試合をして勝っていたと思います。試合後の立ち居振る舞いも含めて粗いし、自信があって良い意味で荒々しくもあり、勢いがあるとはこういうことなのだなと思います。

若い時分の青木真也よりも今の青木真也のほうが洗練されています。技術の完成度は高いし、知識も経験も身について、若い時分の青木真也よりも完成度は高いと思います。タックル一つとっても立ち位置、入り方、倒し方まで理屈と意味があって説明できないことのない完成度があります。

昔の青木真也と今の青木真也が試合をして、どちらが勝つかと言えばそれは昔の青木真也かもしれないのですが、完成度が高いのは今の青木真也だと自信を持って言えます。勝負に関しては知らないからこそ大胆な攻めができることはあるし、知らないからこその強さはあるので経験や完成度が高ければ勝てるものではありません。ここらへんは勘違いされがちですが、ときに練習や学びを得ることは勝利から遠のくことはあります。

僕は試合のプロモーション、自分の試合の入場から退場まで、試合後のコメントまで理屈のあるものを作りたいと思っていて、そこにはすべてに意味があって、解像度はできる限り高いものを作っていきたいと思っています。試合のテーマから自分で考えていくのは解像度の高いものを作りたいからであって、もしかしたら観てもらうとか、売れるものであるためにはtoo much で過積載なのかもしれないけれど、創り手として拘りたいところで拘っています。良い作品を良い物語を作りたいそれだけです。

GOの三浦崇宏さんにそんな話をしていたら、三浦さんの尊敬する師匠筋にあたる方の言葉で「考えられてないことがないことがクラフト」を教えてくれました。この言葉にすべてが詰まっています。これは「理屈のないことがない」だし、「意味のないことがない」だし、「説明できないことがない」なのです。格闘技の技術戦略においては「考えられてないことがない」状態にしておくことが望ましいし、それこそが完成度の高い僕の理想とする格闘技です。

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