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「格闘技しか知らないやつは格闘技のことを何も知らない」 日々懸命に働きましょうって話

20代前半から中盤は格闘技だけに没頭することが強さへの最短ルートのように思っていて、格闘技以外のことは極力触れずに格闘技に捧げるような生活を送っていました。

毎日2回練習は当たり前、多いときは3回練習。空いた時間は休養に充てる。遠征先でも観光をすることなどもってのほか。時事のニュースすら知らず、総理大臣の名前すらうろ覚えなときがありました。どれだけ格闘技に捧げられるかを指標にやっていた時期があります。今の僕からは想像もできないのではないかと思います。

キャリアを重ねた今は日に一回の練習が基本で練習量は比にならないほど少なくなっています。その分、他のことに充てる時間が多くなっています。量か質かで言えば、質になっているのだけど、量を求めた先に質があるのです。要領よく最初から質を求められるほど格闘技は甘くないです。まずは圧倒的な練習量だと誇れるくらいに練習をやってみることをこれから駆け上がる選手にはお勧めします。非効率の先に効率があるし、量の先に質があるから、強くなりたかったらまずは黙ってやるといいです。

「格闘技しか知らないやつは格闘技のことを何も知らない」

この言葉はターザン山本さんの「プロレスしか知らないやつはプロレスのことを何も知らない」を格闘技に変えて使っています。僕が格闘技だけに全てを捧げていた時期が無駄だとは思わないけれど、今は格闘技をより深く知るために格闘技以外の学びが大切だと思っています。

無駄なように思っていた遠征先で観光をしたり、他の商売を学んだり、人と話したりする時間が格闘技をより深く知るために大切なのだとここ数年で強く感じるようになりました。僕が歳を重ねても「プロ格闘技選手」としてやれているのはこの変化が大きいのではないかと思っています。

格闘技選手を仕事にするとき、「先に好きなことをやるのだから、選手引退後の人生で苦労してもいい」と覚悟をして、プロ格闘技選手になりました。今はそんなことはまったく思わなくて、むしろここまでの経験が財産となって今後に生きていくだろうなと思っています。最近、食事をした方が「同じ遊びを40歳で遊べばその後の人生でその経験が活きるが、60歳で遊べばその経験は残り僅かしか活きない。だから遊べ!」と言っていて、仰る通りだなと思いました。ここまでの経験があるからこそ、ここからできることが広がっているような気がしています。

2006年からプロ格闘技選手として「格闘技」で生きてきて17年。18年目に入りました。練習も仕事もその他の学びも全力でやってきました。上手くいったものばかりが目に入るとは思いますが、失敗もたくさんしてきました。たくさん挑戦させてもらったからこそ、失敗ができたのには心から感謝しているし、それでも折れずに積み上げ続けた自分に驚きます。

とにかく目の前にあることを全力でやるのがいいです。
没頭するのもときには大事だけれど、視野を広くして仕事も遊びも全力で取り組むことで「強く」なるのだと思います。

こうして書いていると若い選手への言葉だと思うじゃないですか。

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