介護は贖罪の場じゃない

これは、7/30にFBで掲載したものです。


薬物問題の酒井法子然り、生保不正受給問題での次長課長・河本準一然り、反社会的勢力問題のザブングル然り。

「介護」というキーワードに、「贖罪」というメッセージを込めた報道の仕方に疑問を持ちます。

私は当事者の方々に直接お話を伺ったわけではありませんので、勿論それが「贖罪」というテーマで取り組まれているかについては言及しませんが、メディアによる印象操作に拠る影響が強いのかなとは思います。

ボランティアという奉仕活動と、介護。
イメージリンクしやすいテーマです。
脳梗塞と失語を持った祖父、小児麻痺の叔母。
その2人と同居した私にとって、手伝うこと、支えることは生活の一部でした。その頃の私の頭の中は、出来ないことを手伝うのは当たり前で、それを家族以外に公然とする事がボランティアだという解釈です。
無償奉仕という美徳心に浸っていた時期もあります。

さて、無償奉仕の事の興りはいつでしょうか?無償でお世話をするという考えは、キリスト教や仏教といった宗教的側面から発達したものです。

そしてそれらが発展した今、私たちは生活の手段としてそれらの事を「職業」にしています。
その差は何か?責任感?それも大切です。プロですから。
実現可能な最大値を常に示し、提供されるクオリティが担保されている…少なくとも私はそう考えます。

前述の反社会的勢力問題で休業されているロンドンブーツ1号2号の田村亮さんが介護を勉強している、というニュースがありました。
高校卒業して上京、苦労されて芸能界入りを果たし、報道まで第1線を走ってきた方が全てを失い、不退転の決意でこの道の扉を叩くのであれば、どうぞ頑張っていただきたいと思います。新しい風を巻き起こしてください。

しかし、それが「償い」ではないことを、私は切に願います。償いの気持ちで始めた自分の物語に、介護が必要となった方の人生を巻き込まないで欲しいという事です。贖罪目的の人にお世話をされることを、果たして当事者は望んでいるのでしょうか。

私は願います。


介護職という選択肢を通して出会った方々と触れ合い、本来ひととひととが営むコミュニケーションを通して優しさを取り戻し、その意味を伝える役割を担ってくださることを。

過日、介護という世界を通じて様々な発見から大成された方との出会いに学んだそれを、介護現場に触れて体感した人たちによって、世に発信してもらえることを。

医療福祉によってブラインドされていない、新しい風を吹き込んでくれることを。

応援してます。

実際に熊本で介護事業所勤務を経験されたザブングルさんのお話が聞きたい、とある秋の午後なのです。

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