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「本物のモンスター」



 東京に住み始めてから十四年ほど経つのだが、僕のような生活をしている人間は、荷物も少なくお金もないので引っ越しを自分達で済ませてしまうことが多い。引っ越しと聞くと「手伝いますよ!」と、小遣い稼ぎに駆けつけてくれる後輩の存在も非常に心強く助かっている。

 ただ一つ問題があり、僕の家には十年以上前に友人から貰った、ドラム式洗濯機という名の悪魔が鎮座しているのだ。この旧式の悪魔は、衣類を傷めず縦型の半分以下の水量で洗濯を行う能力と引き替えに、とてつもない重量をその身に宿しているのである。

 以前に成人男性三人掛りで一ミリも動かすことが出来ず「あかん諦めよ!」と二十分ほど放置した後、「あかんあかん、持っていかな一生引っ越し終わらへん!」と気付き一時間ほどかけ何とか運び出したことがある。
 一般的なドラム式洗濯機は八十〜百キロらしいのだが、それは単純な重さを数字で示したに過ぎず、実際に対峙した際に感じる感覚では二百キロを越えている。
 そもそもドラム式洗濯機を使う人間が、業者を使わず自分達で運び出そうとするなどメーカー側も想像していないのだろう。そう考えると情けなくもなってくる。

  六年前の引越しでも事件は起こった。
 その日、手伝ってくれる後輩二人に予め洗濯機がモンスター級の重さだと伝えたのだが、「まぁでも、男三人入れば大丈夫でしょ」とか、「重い言ってもこの大きさ以上の重さではないんで知れてますよ」などと、あまり取り合ってくれなかった。

「君ら二人これがホラー映画なら、確実に最初に死ぬタイプの発言してもうてるで」と警告したが、ドラム式洗濯機に馴染みのない者にいくら言っても無駄なようだった。そうなれば、主人公である僕がこの世界を救わなければならないと思った。
 これはただ馬鹿な若者達が、次々とドラム式洗濯機の餌食になるようなお決まりのスプラッター映画ではなく、そんな凄惨たる未来を予知した主人公の僕が、運命に抗い、何とか未来を変えようと奔走するSF・サスペンス的な要素も含まれている物語なのだ。
 ドラム式洗濯機の恐怖に支配され、物件選びでは如何にドラム式洗濯機をスムーズに運べるかを重要視してしまった結果、住んでる場所から徒歩二分のマンションに決めてしまい、皆んなから「え、何で引っ越しするん?」と不思議がられながらも、僕はそう決意した。

 映画「ターミネーター」や「バタフライエフェクト」でも、その結末を知らない脇役からは狂人と映ってしまうものであり、それでも未来を変えられるのは自分だけなのだと、僕はまず車のレンタルを辞め台車を購入した。
 車を用意してしまうと、結局は洗濯機を運び出し、車に乗せ、また車から降ろし、部屋まで洗濯機を上げるという、途方もない作業が必要になり、確実に二人を死に追いやってしまう。だが家から新居が近ければ、台車での運搬が可能になり、エレベーターさえあれば台車に乗せる作業と、降ろす作業のみで完了することが出来る。引っ越し先のエレベーターの広さも十分だし、玄関を開けてから洗濯機の設置場所までも一直線の部屋を選んだ。

 引っ越し当日、後輩二人は眠たい目を擦りながらやってきて、「一服していいですか?」と煙草を吸いながら談笑していた。
 確実に死にそうな二人を横目に、僕は購入した台車のボルトやタイヤを入念にチェックする。耐荷重150キロ、これなら十分いける筈だ。
 そろそろやりましょか?」後輩二人はニタニタといやらしい笑みを浮かべながら、まるで際どい格好をした少女に近づくチンピラのように、ドラム式洗濯機に歩み寄って行く。
 僕が台車を持って行こうとすると「玄関まで持って行くんで、玄関出た廊下のとこで待ってて下さい」と軽くあしらわれた。

  一人は洗濯機の右後ろに、もう一人は左後ろに、まるで少女の尻を揉むかのようにいやらしく手を回す。台車を玄関に運ぶ僕の背後から「せ〜の」とかけ声が聞こえてくる。三秒後にまた「せ〜の」と声がする。次に「いや、もうちょいちゃんと奥の部分持って」と苛つく声がして、「ちゃんと洗濯機に付いてる持ち手の部分持ってますよ」と不服そうな返事が聞こえる。
 そして一際大きい「せ〜の!」が部屋中に響きわたった後、一転して部屋は静寂に包まれた。

 気になった僕が様子を見に行くと、二人はもう二時間休む事なく荷物を運び続けたくらい汗だくになり、一人はしかめっ面で右肩を押さえ、もう一人は真っ赤になり小刻みに震えた自分の両手を呆然と見つめていた。

「めちゃくちゃ重いですね・・・」

 痛めた右肩が辛いのか、うめくような声で一人が言った。

「台車、持ってきて貰えます・・・」

 両手を見つめたまま、独り言のようにもう一人も呟いた。

 殺したろかと思いながら、僕は黙って台車を取りに行った。
 持ち上げるのがほぼ不可能なので、僕らは三人でとりあえず台車に倒すようにして洗濯機を乗せ、スペースのある場所まで移動して、そこからまた三人で起こして台車に安定させた。

 残りは二分の道のりを行くだけなので、後輩二人が台車を押し、僕はその後ろから段ボールを持って着いて行った。後ろを歩いていると何か堅い物を踏んだ。足元を見ると小さなボルトが一本アスファルトに落ちていた。危ないなと思い足で隅によけ歩き出すと、また前方に小さなボルトが落ちている。嫌な予感がして後輩二人の方を見ると、台車の左後ろのタイヤが取れかかっている。ヘンぜルとグレーテルみたいに、台車の通った後の道に、外れた部品が綺麗に並んでいるのだ。

「ヤバいタイムリミットが迫ってる!」僕は叫びながら台車に駆け寄り、状況を二人に説明した。新居まで残り二十メートル、間に合うだろうか?いや、壊れてしまえばそこで即終了なのでもう行くしかない。僕らはなるべく台車の前方に体重がいくようにして、慎重に素早く運んだ。すると今度は前方のタイヤがガタガタと悲鳴をあげ始めた。ここにきてパニック映画の要素までこの物語は含みだしたのだ。

 ヤバいヤバい!と無我夢中で残り十メートルを僕らは運び切った。洗濯機を設置し台車を確認すると、完全に前後のタイヤの金具がひしゃげ、タイヤは曲がり、台車は真っ直ぐ進むことがは不可能な使い物にならない状態だった。
 つまり切羽詰まった僕らは、あれだけびくともしなかった洗濯機を、最後の5メートルはほぼ持ち上げた状態で運んでいたのだ。
 想い描いた通りの展開ではなかったが、最後に奇跡を起こすことに成功した僕らの物語は、最高のエンディングを迎えることが出来た。

 そして僕はその二年後、駐輪場の月千円に納得いかずにまたあっさりと引越しを決めた。そろそろちゃんとプロの手に任せようと引越し業者を手配した僕は、我が家の悪魔を台車も無しに一人で抱えて運び出す、本物のモンスターの姿を目の当たりにることとなる。

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