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give疲れ|餃子が食べたい人にラーメン勧めてない?giveの受け取り方と贈り方

giveと餃子とラーメン?って思った方、びっくりさせてごめんなさい。今回は「give」について思考をめぐらせていて、この餃子とラーメンのたとえが一番しっくりきました。giveする側もgiveされる側も、今とっても疲れているんじゃないかなと思うんです。

「組織、属す」という時代から「個人、繋がる」の時代に大きく変化している2020年。言葉にはできないけど、肌感覚で「なんか勝手が違うぞ、取り残されたらどうしよう」とザワザワしている人も多いはず。

取り残されたくない一心で、SNSや副業をはじめてみたら、めまぐるしい情報量にクラクラしてしまいます。キラキラしてみえる人や煽ってくる人、もっともらしいことを言ってくる人。望んでもないのにgiveしたりgiveされたり。ちょっと心が胃もたれで消化不良おこしちゃってる人も多いのでは。

抽象的な言い方で混乱させてしまうかもしれないのですが、自分の在り方ひとつで、giveされる側は"される"のではなく、"受け取る"に変われます。同様に、giveする側も"与える"のではなく、"贈る"に変われると思うのです。

「自分の在り方」なんて大げさな言い方をしてるけど、通常の胃もたれなら日々の生活習慣を見直せば改善します、つまり、心は思考習慣を見直せば健康になれるかもってことです。今回は、あなたが消化しきれなかったアレコレを大掃除できたらいいなと思っています。じゃあ、説明していきますね。

giveって思いやりのはずが、おせっかいなgiveが横行してる

giveって日本語で「与える」と訳す人が多いと思います。中学校でそう習いますもんね。

giveの意味▶⑴与える ⑵贈る

ただ、「与える」って表現に私は違和感があって、すごく身も蓋もない言い方をすると、「いやいや、求めてませんけど」って言いたくなってしまうときがあるんです。

与えると贈るではまったく違います。与えるって、一方的に押し付ける感じというか、勝手なイメージかもしれないので絶対そうとは言えないですが、そこに思いやりとか愛が存在しているようには感じられない。あるのは、与える側のおせっかいとか、利己主義のような気がしてならないんです。

利己主義のgiveって?

利己主義の意味▶自己の利益を重視し、他者の利益を軽視、無視する考え方

ちょっと想像してほしいんですが、たとえば、駅前に新しいラーメン屋さんができていて、「お、今日は餃子が食べたい気分だし、餃子めぐりといきますか」とあなたは胸を躍らせ、お店のドアをくぐったとしましょう。すると、いかにも修行して極めましたと言わんばかりの店長がニカっと出迎えてくれる。

店の雰囲気は上々、期待できそうです。「餃子ください」あなたは注文をします。すると「お客さん、俺はね、ラーメンを10年以上極めてきたんだ。ラーメンが自慢だから、初めてきたからには、まずは俺のラーメン食べてくれよ」と店長は言うのです。

(え、なに急に。)ってあなたはフリーズしちゃう。しかも、厄介なのは、店長に1ミリも悪気がないってところなんです。店長はあなたが餃子を食べるために店に入ったとは思っていません。あなたの趣味が餃子めぐりだってことも知らない。

だって、ここはラーメン屋ですから、お客はみんなラーメンが食べたくて来てると店長が思い込んでても不思議はないんですよね。そりゃ2回目も来てほしいから自分が一番自信のあるものを提供したくもなります。あなたは優しいから、店長の気持ちとかもちゃんと分かろうとしちゃう。

そして、あなたの対処法なんですが、私の予測では大きく分けて3パターンかなと思うのです。

1、「じゃあ、ラーメンで」
2、「じゃあ、餃子とラーメンで」
3、「すみません、餃子が食べたいので餃子で」

実はどれも正解。だけど消化不良におちいる

1も2も3も正解です。ただし、どれもモヤモヤが残ってしまう。

1を選んだ人は、食べたい餃子を我慢して、別の物を食べているのだから「おかしい」と思うのも当然ですよね。しかも、餃子1皿よりラーメン1杯の方が値段も高くついたりなんかしちゃってね、とにかく自分の思い通りにいかない現実にもやっとします。

2を選んだ人はどうでしょう。あなたが望んでいた餃子は手に入れました。あと、店長の要望まで叶えてあげちゃって、なんて優しいんだ自分って褒めたくなります。

だから、店を出て家まで歩きながら「ラーメンまで食べて、お金もダイエットもパァだよ・・・」って愚痴くらい言わせてほしい気分になる。ただ、こんなことでネチネチするのもかっこ悪いから「予定外にラーメン食べちゃったけどおいしかったし、まあいいよね!」ってSNSに投稿して、ひとりため息。お腹も心も苦しい。

そして、3。自分の言いたいことをきちんと言って、望み通りに生きてるのに何が不満?と思うかもしれません。

この人たちは、店長がこれまで頑張ってきたのにラーメンくらい食べてやればよかったかなとか、めっちゃ美味いラーメンだったらもったいなかったかもとか、相手の気持ちをくめなかった自分にげんなりしたり、選ばなかった未来に後悔したりします。

欲しくもないのにもらってモヤモヤ、もらうのを拒否したらしたでモヤモヤ。私の話で恐縮ですが、「あのコンビニの〇〇が食べたい!」と出かけたのに、運悪く売り切れちゃってる。買わないで帰ると、食べたい欲求を持て余してしまう。別の商品を買ってみたけど、なんか食べた気がしないという感じがそれです。

ただ、「まぁ考えても無駄だよな」となるくらい小さな違和感なので、日々の忙しさに埋もれてしまいます。SNSなんかは「誰得なの?」と言いたくなるようなgiveを嫌でも目にするので、チリツモでしんどくなっちゃうのも無理ないですよね。

じゃあ、どうしたらモヤモヤがなくなるの?

私が実践してきた方法しか提案できないのであれなのですが、あなたの心の胃もたれを治すには、思考習慣を見直すしかないんです。

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人はみんな、欲求不満だとクレクレ族になります。私のいうクレクレ族の口癖は「誰も私のことをわかってクレない。私の思い通りにさせてクレない」です。このときの心理状態は、青色の部分の「愛されたい、認められたい」という依存的な在り方になります。先ほどの店長は、まさにこれです。

仮に、店長が緑の在り方だとしたら、「ラーメン食べてよ(なんでラーメン食べてくれないの)」とは言わなかったと思うんですね。きっと「餃子もおいしいよな!俺の一番の得意はラーメンだから、つぎに来たときは食べてってね!」とあなたの餃子欲求をちゃんと受け止めつつ、自分が頑張ったこと(ラーメン)でgiveしたいと伝えてくるはず。

赤の部分の人は貴重です。自他ともにそのままでいいんだよと認め、まるごと愛してあげる。そんな人の周りには自然と人が集まってきますし、愛とお金は循環して大きくなるので、俗にいう成功者であることが多いと思うんです。めったにお目にかかれませんけど。

giveされる側の心理状態の見直しも

で、ここでもう一つ大事なのが、「される側」の行動も心理状態で変わってくるということなんですね。ちょっとびっくりさせちゃうかもしれないんですが、1や2のように店長の要望を聞けば(ラーメンを注文すれば)、人を認めてるから赤じゃん!とはならないんです。

実は、ほとんどの人が青色「愛されたい、認められたい」の在り方から、店長の要望を叶えているだけなのです。だって、叶えてあげたら得があるんですよ。ラーメンっていっておけば、めんどくさい状況を回避できるとか。割引してくれたらラーメンも食べますって見返りを求めたりする人もいるかもしれない。

もし、緑や赤の在り方を目指すなら「そうなんですね、ありがとうございます。店長は10年もがんばったんですね。修行して極めたラーメンって他とはくらべものにならないくらいおいしんでしょうね、すごいな。」と店長の認められたい欲をまず満たす貢献をしてほしいんです。

相手のgiveを受け取るって承認貢献だと私は思うんですよね。仕事でよく言われる「他人ニーズを考える」です。私も含めて、人は承認されたい、必要とされたい生き物なんです。承認欲求はなくなりません、でも支配されないで生きることは「在り方」が可能にしてくれます。

でも、中には「欲しくないのにgiveされて、なんで店長にそんなことしなきゃいけないの?」と思う人もいるでしょう。分かります。それならそれで大丈夫。あなたの在り方は自由です。

「人は、自分のことを変えられたくはない。わかってほしいのじゃ。尊重してほしいのじゃ。」
引用書籍:人生を変える"愛と幸せと豊かさの秘密"3つの真実(野口嘉則 著)

どの在り方だったとしても、それでいい。あなたが自分で選択してくださいね。

クレクレ族(認められたい)をやめたいときは?

「どうせ私は分かってもらえない、誰もわかってくれない」が口癖で、恨みや不満を溜めているクレクレ族を脱退したい。そんなときの解決法も説明させてください。

小さなことでもいいので、「自分から」言うことで「承認」してもらってください。

結局のところの原因って、分かってもらえないのではなく、自分が分かち合っていないのだと思うのです。すごくもったいないんですね。だから、年末くらいはいいです。ちゃんと人から褒めてもらい、愛をもらい、たまには満たされてください。あなたもクレクレ族の村で、仲間にたくさんあげてきたはずだから。

ただし、ルールを3つだけ覚えておいてほしいのです。クレクレ族の村から旅立ち、新しい村へ行く。これは新しい村のオキテみたいなもの。

・クレクレ族には分かち合ってもいいけど体力消耗するからよく寝ること
・うまくいったことを分かち合うこと
・すごいね!と承認されたら、「ありがとう」でちゃんと受け取ること。くれぐれも「私なんてまだまだです」で受け取り拒否をしない。

愛情を贈ってくれる相手に怯えて、相手があなたに感じている「すごいね」という感情を尊重できないのは悲しい。じゃあ、最後にあなたへメッセージを贈りますね。

幸せを生む愛とは、相手の幸せに貢献しようとするとともに、相手の感じていることを尊重する愛なのじゃ。相手の感じていることを尊重することができれば、相手をコントロールしたくなる気持ちも手放せる。
引用書籍:人生を変える"愛と幸せと豊かさの秘密"3つの真実(野口嘉則 著)

あなたなら、きっと大丈夫。

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