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ミッションスクールな日々①悩みは続くよいつまでも

+主の平和


以前も申し上げた通り、私はnoteを書くことも読むことも大好きで、自分好みのnoteを探して夜な夜な徘徊(note内を、ですよ!)しているわけですが、小学校受験の合否にフォーカスしたnoteは数あれど、その後、つまり入学後の学校生活を描いたnoteってあまり見かけないなと感じます。

小学校受験が終了することすなわち、お子様の人生が決まったわけでも、まして子育てが終わったわけでもありません。入学後も悩みの連続です。

合間を見て、我が家のお受験終了後のこともnoteに残していこうと思います。

よろしければ「スキ」押していってくださいね!励みになります。



週明けのお約束

「あー、学校行きたくない」

週の初めの月曜日は大抵、娘はこう言って朝の準備が緩慢になります。第一志望の小学校に合格し、憧れの制服に憧れのランドセルを背負って通学する理想の日々を送って…いるはずなのに、月曜日は決まってこのセリフを親(主に私)は聞くことになります。

行き渋りは小学生で始まったわけではありません。幼稚園時代からこんな感じでした。卒園式では親子で号泣するほど大好きだった幼稚園でしたが、年少からの3年間のほとんどは行き渋りな朝を過ごしていた記憶があります。

幼稚園だろうと、小学生であろうと、きっとどこの小学校に通おうと、我が家の娘は伝統芸能のように行き渋っていたと思います。

淡い期待はあったのですよね。憧れの第一志望の学校に通えば、毎日スーパーハッピーな学校生活を送れる、なんて。学校に早く行きたい、学校にずっといたい、家に帰りたくない。それくらい学校のことを愛してやまない娘になるのではないか。

でも、そんなことないのですよね。環境を変えたからといって、人間の価値観や個人の性質はそんなに簡単には変わりません。


シスターの言葉

私が洗礼を受けることになった十数年前、とあるシスターからこんなアドバイスをいただきました。

洗礼を受けたからといって、あなたの中の何かがガラッと変わるということはありません。昨日と同じような今日、今日と同じような明日が続くのです。あなたは、あなたのままなのです。

なかなか強烈なセリフです。つまり、洗礼を受けることで神様から特別な加護を受けることは決してないということです。

私立小学校にも様々な種類があり、

①大学附属…小学校に入れば附属の大学まで原則エスカレーターで進学できる
②幼小中高一貫…高校までは原則エスカレーターで進学、大学受験等が必要になる
③中学受験必須…中学受験をする前提の小学校。附属中学・高校がある場合も

大体がこのパターンのいずれかになるかと思うのですが、①②で附属の中学に進む場合の「原則」全員進学、というのが曲者です。つまり、在学中によっぽどのことがあった場合はエスカレーターから降りていただきます、ということです。

今のうちにお断りしておきますと、我が家の娘は②の学校に通っておりますが、今のところ特に問題を起こしたとかそういう報告は受けておりません。ごく普通の(普通すぎるくらい普通の?)子どもとして過ごしているそうです。そして今のところ、高校まで通わせていただくつもりでおります。

私が元来心配症ということもあって、小学校に無事合格した翌日には、12年という長い年月を無事に過ごすことができるだろうか、子どもや家族を支えていけるだろうか、という不安に駆られていました。だからこそ、週明けの伝統芸能が苦しいのです。

第一志望の学校に合格し、通わせているからといって、大抵の親御様は100%の安堵をしているかといえば、決してそうではありません。毎日毎日、ああでもないこうでもないと悩みすぎて、気づけば1日が24時間で終わらなかったりすることもしょっちゅうです。

私もどこかで期待していたのだと思います。第一志望の小学校は、なんの不満も不安もないパラダイスだと。ですが、現実はそんなに平和ではありませんでした。まあ、どこにでもあるちょっとしたいざこざだったり、うまく気持ちを伝えられないもどかしさだったりといった程度なのですが、それでも我が子が不安そうな顔をしている様子を見るのは親も辛いです。


クリスチャン的思考法;明日のことまで思い悩むな

小学校受験が終わったからといって、子育ての悩みから解放されるわけではありません。また別の悩みの中で過ごす毎日が始まるだけです。そしてそれは、どこの学校に行っても同じだったと思います。

だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。

マタイによる福音書6:34

この言葉、すごくないですか? 

あのイエス様がこんなことをおっしゃるなんて! この部分を初めて読んだ時の衝撃と言ったら、なんでもっと早くに受洗しなかったのだろうと心の中で地団駄踏むくらいのインパクトがありました。

明日は明日の風が吹く、という言葉もありますが、聖書的にはこんな感じです。寝る直前になってあれやこれやと思い悩む癖のあった私は、この部分を知って以降は割と安眠できるようになりました。あれこれ悩む割には、単純なんです。

 だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

マタイによる福音書6:25〜33

流石に、学校へ赴く用事のある時に「衣類のことで思い煩うな」の言葉通りデニムスタイルで行ってしまうのはまずいわけですが、心配性の私には心の奥底の方から「大丈夫」という安心感が生まれた聖句でした。

ミッションスクールの、しかも第一志望からご縁をいただいたことは、正直申し上げて奇跡が起こったとしか思えなかったですし、今もそう感じています。

でも、これが神の導きだということも同時に信じています。神が「行け」とおっしゃったのであれば、行くしかないのです。

娘が学校生活を楽しみながらも、行き渋ることや、悩むことも、神は全てご存じなのです。それなら私は、私のやるべき仕事を全力ですればいい。その後のことは神様がお決めになることです。

全力で仕事をするためには、よく食べてよく寝なければなりません。睡眠不足は本当、イライラが止まらずパフォーマンスも落ちますから。

これをお読みくださっているあなたは、受験生を持つ親御様であるのか、受験終了組なのか、私が窺い知ることは叶いませんが、今抱えていらっしゃる苦労や悩みの先に必ず、明るい歩みがあると信じていただけたらと思います。できれば、あなたの苦労や悩みを共有できる他者がいらっしゃれば心強いですよ。


ちなみに、我が子は週明けの学校行き渋りはあるものの、火曜日からは「早く学校に行きたい!」と言って超速スピードで家を出ていきます。そんな時間に家を出ても、学校の門は開いていませんよ〜と言っても「門が開くまで友達とおしゃべりしたいの!」とのこと。

完全に娘の気まぐれに振り回されているだけなのですが、まあ、そういう娘でそういう親なのだから、仕方ありません。

これをお読みになっているあなたの悩みや苦しみが解けますよう、今日も祈っております。


感謝のうちに。

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