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地位財を求め続ける…私たち

▽「 地位財」とは、他人との比較優位によって価値の生まれるもの、例えば 所得・社会的地位・車・家・高級ブランド品などをいいます。これは「幸せとお金の経済学」の著者ロバート・H・フランクの考えですが、彼は同著の中で、こんな思考実験をしています。

▽(実験1)自分は約110坪の家、他の人は約150坪の家に住んでいるAの世界、自分は約80坪の家、他の人は約60坪の家に住んでいるBの世界のどらかを選びます。
(実験2)自分は1年に4週間、他の人は6週間の休暇がとれるCの世界、そして自分は2週間、他の人は1週間の休暇がとれるDの世界のうち、どちらか一方を選びます。

▽多くの方の選択は、実験1ではBの世界、実験2ではCの世界を選ぶといいます。実験1の世界は冒頭記載した、地位財を選んでいます。この場合絶対的な広さではなく、相対的な広さを重視しました。一方実験2の世界は、「非地位財」が対象になっています。非地位財とは、他人が何を持っているかどうかとは関係なく、それ自体に価値があり喜びを得ることができるもの、休暇・愛情・健康・自由・自主性・社会への 帰属意識・良質な環境などがあげられます。ここでは、相対的な日数ではなく、絶対的な日数を選択しました。

▽フランクによれば、人には相対的消費が重要だと感じる領域があり、これが地位財の獲得競争につながる、またこの競争を続けると、資金が非地位財に回らなくなり、幸福度が下がると指摘しています。つまり、 地位財(車・家・高級ブランド品など)を手に入れた時の幸福感は長続きせず、きりのない獲得競争でお金を浪費してしまうだけ、一方で休暇を取って家族と旅行に出かけることは、大きな精神的な満足感が得られ、それは幸福な時間として家族の記憶にストックされます。

▽人によって個人差はあると思いますが、私自身も経験があります。特に洋服などは、好みやブランドなど同じようなものを持っているのに、結局買い続けてしまいます。若い頃にはブライトリングやロレックスといった時計にに夢中になったこともありました。尤もクロノマットをオーバーホールに出したら、10万円程請求され、すぐに離脱する羽目になりましたが。こういう時計はランニング費用(年換算で2~3万円)までしっかり出せる人じゃないと持ってはいけない、ということを学んだのです。

▽他人との比較において優位であるということは、時計ならクォーツじゃなくて機械式を選ぶ、というようなある種のうんちくにカモフラージュされていて、あまり意識しないように仕組まれています。しかし実態は単に誰よりもカッコいいと思い込まされているだけ、要はマウンティングしたと思い込まされているだけの話です。それを自覚できれば、多少は浪費を慎むようになり、その結果として家族でハワイに行くこと(非地位財)を選択するのなら、その方が確かにいいと思います。私たちが地位財に投下し続けている、あまり意味のない拘りから解放されれば、相当いい選択が可能になるような気がします。




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