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第3章 旅立つ前の話。

前回、僕たち「旅部」がキューバに行くため、ミーティングを重ねた話を綴らせてもらった。
今回は、ミーティングで決まったこと、キューバに旅立つ少し前の話を綴っていく。

ミーティングで決まった日程は、
・2019年12月18日 キューバ大使館に行く
・2020年1月30日10時最寄駅発 13時成田着 15時25分日本発 深夜ハバナ着
・2020年1月31日 ハバナ発バラデロ着
・2020年2月2日 バラデロ発ハバナ着
・2020年2月5日 キューバ発
・2020年2月7日 日本着

日本からキューバに行く選択肢は、カナダ経由かメキシコ経由だった。僕たちは、トランジットが6時間あるが、カナダ経由より安いメキシコ経由を選んだ。
そして、初日のハバナとバラデロでは事前にホテルを予約し、ハバナでの残りの2日は現地で宿を探すことにした。現地で宿を探すことに、ナガサクとよっちは反対した。だけど僕は、イベント性が欲しかった。良く言えば、挑戦したかった。だから僕の提案を押し通した。ミーティングで決まったことは大体こんな感じだ。

ある程度の予定が決まり、キューバに入国するために必要なツーリストカードを発行しにキューバ大使館に行った。キューバ大使館は、リトルトゥースなら分かると思うがオードリーの若林さんがラジオや著書でいっていた通りだった。ここには、キューバに行った人のほとんどが来ている。もちろん若林さんも、キューバをアナザースカイに選んでいた生田斗真さんも。決して綺麗とは言えない、あの狭い空間に皆「キューバに行く」同じ目的で。僕は、少し興奮し、感動した。そして、無事ツーリストカードを取得し家に帰宅すると、スマホに知らない番号から着信があった。キューバ大使館からだった。話を聞くと、ツーリストカードを発行する際複数の書類が必要だが、僕が渡し損ねていたらしい。そして、その書類を直接じゃなくていいからメールで送ってくれという電話だった。僕は、まだ学生だから社会を知らない。キューバに入国するのに絶対に必要な書類だが「こんな簡単に済ませていいものなのか?」と思った。だけど、なんとなくキューバを感じた。
12月18日にキューバ大使館に行き、翌年1月30日にキューバへ旅立つ。
僕たち「旅部」には、この間に大きな行事があった。
成人式だ。
キューバの話の途中に成人式の話をする必要もないが、唯一心残りがあった。「旅部」つまり中学3年の同じクラスの3人組で、キューバに行くことを、そのクラスの担任の先生へ報告しなかったことだ。僕は、この先生に大きな影響を受け尊敬もしている。おそらくナガサクもだ。
先生は、中学の教員になる前、青年海外協力隊で海外活動していた。その、経験をクラスの授業で僕たちに伝えてくれた。先生は、自分で意識していたのかは、分からないが、他の教員とは違い海外経験があるからこその教育スタイルを持っていた。それは、僕にとってとても居心地が良かった。そんな先生が、青年海外協力隊で派遣された国は、ジャマイカだった。そして、キューバはジャマイカの隣の国だ。中学生の頃は、先生はそんな遠い国で働いていたのかと思っていた。だが、ジャマイカで生活していた先生と、今の僕たちの年齢はさほど変わらない。キューバに行くことは怖かった。しかし、決して先生を見下している訳ではないが、先生がジャマイカに行けたのなら、僕たちだってキューバに行けるだろうと思った。そう思うことで僕は、勝手に尊敬する先生に、背中を押してもらった。だから、先生が担任だったことが、キューバに行けた要因の一つである感謝を伝えたかった。これだけの想いがあった。だが僕は、前回の章で綴ったジンクスを守り、先生にキューバ行きを報告しなかった。
これが、キューバに行く前の僕の心残りだ。
今はキューバに行った報告を先生にするのが僕の小さな夢になっている。

多分つづく

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