レッツ食いしん坊 始まりの、たまご①


こどもの頃に五感であじわうものは、大人になると無意識にもどこかに染みついている。その代表するものが、食べものではないだろうか。

この世に生まれ出でて、初めて「おいしい」と感じたもの。気づいたら、毎日食べているもの。わたしの場合は

たぶん、たまご だ。

白く繊細で薄く静かな、まるで素焼きでつくられたような殻の中には、つやつやと照りエネルギーがギュッとつまり、いきいきとした黄金色の黄身。 こんなところにキミがかくれていたなんて・・・。(恍惚)

しかし、 ん?なぜに、たまごなんだ?  と、自問自答してみると。

思い出したのだ。そのナゾは、この一冊に。

おしゃべりなたまごやき 寺村 輝夫 作/長 新太 画   (出版社・福音館)

この本は、小さい頃に読んだ中でも大好きな絵本のひとつ。愛嬌のある王様の人柄やドキドキする話の展開、そして何だろう、遠くの知らない国を思わせるような、、カラフルでありながらもどこか孤独を感じさせる、味わいのある色みの赤で描かれた絵。

その中で幼き私が一番注目したポイントは、王様が晩ごはんを食べる場面。テーブルにはパイナップルやイチゴの果物、サラダやスープ・ドレッシングや飲み物のボトルらしきものが並び、その真ん中にはナイフとフォークで割った、たまごやき(目玉焼き)。その白と黄色がひときわ輝いて見えていたのである。

今思えば、このページにとどまる時間が長かった。めくるたびに・敢えて何度も何度も見返して、宝石のようなごちそうの数々をひとつひとつ目で舐めまわ、、イヤ、味わっていたのだ。素晴らしきビジュアル重視。わたしの食いしん坊の原点、記憶のある限りではこの時に違いない。

そしてさらにたまごの記憶は、母親にも関係してくる。

母の実家には昔ニワトリ小屋があり、幼少時代の母はニワトリの世話を含め小屋をまるごと任されていた。名古屋コーチン、白色レグホン、多い時は23羽もいたという各々が、餌の時間に「コッコッコッコッ・・」と呼びかけると、応えるように羽を広げ大股かつ小走りに集ってきたという。母はさぞかし賑やかな彼らたちに囲まれたアイドルだったであろう。ニワトリたちのアイドル。自慢の母である。

ちなみにわたしが小学生の頃、飼育委員を務めた時はニワトリとは中々分かりあえず、掃除のため小屋に一歩入ろうものなら睨みをきかされ臨戦態勢を整えられていた。アイドルとは雲泥の差だ。突かれることを懸念しビクビク臆病になっていたことが相手に丸わかり。鋭い眼差しと、固く尖った口ばし。ビランと揺れる赤いトサカ・・・ビジュアルに負けたのだ。

怖いと思うことは信頼関係がまだ出来ていない。そうすると相手も不信に思い敵だと思うのかもしれない。それらに打ち勝つには、友達になれる・受け入れられると信じ、自信を持つことが大事なことではないだろうか。それがアイドルには最重要であろう。オッ と、いけない。

「アイドルの要素」から「たまご」に軸を戻し話しをつづけよう。



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