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カラフルな感情を抱ける素晴らしさ

もうこれ以上蔑ろにしないで

枠にフィットすることに専念して自分を小さくしないで

自分と対話してたら
子宮あたりから感じる強いメッセージ

少し攻撃的な怒りという感情が存在する
その奥には、もっと私を愛して
自分を何より大切にしてという
愛のメッセージだったりする

その通過地点の悲しみ
いつも我慢していた
他者を思いやることをして、自分を後回しにすること、本当は当たり前じゃなかったね

寄り添う



ある日、肉体を持たない存在が私のもとへやってきた。
彼女は厚かましくって嫌悪感を感じたから、私は『はやく天国いったら?(どうせいけへんと思うけど。思いながら)』と意地悪に言った。
そしたら彼女は、『そうね。お父様をびっくりさせてあげようかしら。でもその前に…』って私の身体に入ってこようとしたから、
ちょっとー!って怒って突っぱねた。
本来なら祈りを捧げてお空に返してあげるけど、それをしなかった。

私は誰に対しても慈悲の心を抱けないわ。
キリストやお釈迦様にはなれないやって思った。
でも、自分の感情に正直な自分や、色んな感情を抱けること自体が愛おしく感じた。
だって彼ら神の境地に至ったら、もうこんな感情、感じることができないでしょ?

いろんな感情を抱くことができるってカラフルでなんて素晴らしいんだろう
って思う。

例え話が親近感を感じる話題ではないだろうけど、もし肉体を持つ人間に対してだったら、抱いた感情のままぶつけるってなかなかしないし、思考が勝手に“Be nice”に振る舞おうとするから。遠慮がない自分の本音で対話した機会がわたしにとっては新鮮だった。
いい子ぶる必要ないってわかってても、長年やってきたら染み付いてるのよ。



だから結局厚かましかった彼女にもありがとう。
彼女は望んだ子供を授かることができなかったから、今世に未練があったの。今頃娘は大学生になってたはずって。

みんな必死に生きたんだよね。

自らと対話をし続けると
結局のところ、自然と慈悲の心が芽生えてくる



浄化の勢いがすごいね。
ラストスパート感。

2022.2.27

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