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【読書感想】たゆたえども沈まず

はじめに

私はフィクションが好きだ。物心つく頃から、空想の世界が大好きだった。幼稚園児の時は、大好きなドナルド・ダックが道の向こうから歩いてこないかなとか、ディズニーランドに住めないかなとかそんなことを考えていた。小学校に通うようになって、ハリー・ポッターに出会った。それが私の空想好きに拍車をかけた。
頭の中でどんなふうにでも想像ができる小説という文化は、私の人生を本当に豊かにしてくれた。本を開けば、世界中どこにだって旅することが出来たし、その世界の中では、私はどんなことだって出来た。無限に広がる可能性がそこにはあった。小学生の私が、もちろんフィクションの虜になったことは言うまでもない。それから私も歳を重ねて、大学生になった時、念願のイギリスへ留学することができた。絶えず人の行き交うロンドンの地下鉄で、私の思ったことは「私たちが気づかないだけで、ほんとに魔法界ってあるのかも」だった。

そんな私の2023年、最初の読書は原田マハさんの「たゆたえども沈まず」だった。マハさんは小説を書くとき、徹底的に取材をするらしい。それこそ、小説に登場するホテルのエレベーターが何秒で開閉するか(!)まで調べるらしいのだ。だからこそ、マハさんの小説を読んでいると、その舞台となった街を旅行しているような気分になる。それが歴史小説であれば、その時代にタイムスリップすることだって、できるのだ。

「たゆたえども沈まず」のあらすじ

2018年に本屋大賞にもノミネートされたこの本は、今や世界でその名前を聞いたことのない人はいないほど有名な画家の一人、フィンセント・ファン・ゴッホと彼を献身的に支え続けた弟テオドルスを題材としたアート小説である。

——たゆたえども沈まず。
パリは、いかなる苦境に追い込まれようと、たゆたいこそすれ、決して沈まない。
「たゆたえども沈まず」原田マハ著

たゆたえども沈まず。パリ市の紋章にも刻まれている言葉だ。セーヌ川の水害に苦しんだとしても、セーヌを愛し、そして何度でも復興を遂げる。そんな言葉が、このお話のタイトルとなっている。
舞台は19世紀後半のパリ。印象派の画家たちが現れ始め、パリの美術界に新しい風が吹き始めようとしていた時代だ。フィンセント・ファン・ゴッホとその弟テオドルス、彼らと同じ時代を生きた二人の日本人、林忠正と加納重吉。アートに詳しい方や好きな方は、ピンとくる名前かもしれない。林忠正という人物は実在する。4人の主要人物のうち、架空の人物は加納重吉だけなのだが、この加納重吉という男がほんっとうに良い役となっている。

パリに強い憧れを抱いていた重吉は、パリで画商をやっている林忠正に呼ばれてパリへ赴く。そして、当時「ジャポニザン」として注目を浴びていた浮世絵を、パリのブルジョワジーたち相手に売りつける日々が始まった。夢にまで見た憧れのパリ。ブルジョワジーたちと対等でいるために、舐められないために、言葉や振る舞い方に悪戦苦闘する日々を送る中で、重吉は同じく画商として働くテオドルスと出会う。
一方、テオドルスは、パリで最も大きな画廊「グーピル商会」でアカデミーで名の通った画家たちの絵をブルジョワジーたちに売って生活をしていた。いつか、本当に自分の心が震える絵を売りたい、と思いながら。そして、兄フィンセントが描いた絵が、テオの元へと届く。その時、テオは確信する。兄の描く、この天才的な絵は、必ず世に出るべきだと。
美術界が確かに変わり始めるパリで、同じ画商として生きる重吉とテオ。2人の男が出会い、絆を深めていく。そして、2人はフィンセントの描く絵に魅了されていく。

「たゆたえども沈まず」の感想

フィクションには無限の可能性がある。特に、マハさんの書くアート小説は史実がある。そこにフィクションが巧妙に入り込むことで「こうだったらいいな」が実現するのだ。世間に認められないまま孤独に絵を描き続けるフィンセントを、懸命に励まし続けるテオもまた孤独だ。そんなテオに、フィンセントの良さを分かち合い、夢を語り合える友がいたなら。日本への憧れを募らせるフィンセントへ、アルルへと旅立つことを後押ししたのが、林忠正だったなら。(忠正は実在の人物だが、ゴッホ兄弟との交流があったかは分からないそう)
当然だけれど、歴史は「分かっていること」しか分からない。その史実と史実の隙間を、フィクションは自由に埋めることができる。私はこれを、ある種の救いだと思う。

ゴッホ兄弟の関係性を見た時に、不安定なフィンセントを支え続けたテオは、強い人間だと思うかもしれない。けれど、本作で描かれているテオは、決して精神的に強い人間ではないのだ。経済的な面でも支援を続ける中で、本当に兄はこのままでいいのだろうか、と苦悩する場面が何度も出てくる。
当たり前だ。自分が汗水垂らして、歯を食いしばって稼いだお金は画材ではなくお酒に使われたら、誰だって腹が立つ。幼少期から憧れの存在だった兄が、どんどん落ちぶれていく様子を一番近くで見続けなければいけない。大好きな兄に罵られ、尊敬や愛情といった感情が、怒りや失望で塗りつぶされていく感覚。
僕たちの人生は、こんなことになるはずではなかったのに。おそらく、ゴッホ兄弟は、30数年という短い生涯の中で、何度もそう思ったはずだ。どこで、どの選択を間違えたんだろう。それは、答えの見つからない答え合わせでしかない。でも、そう思う気持ちを、私は痛いほど理解することができた。
これまでの自分を振り返って、「あの時の選択は間違えていない」と思える人や「自分の選んだ道を正解にするんだ」と思える人がいる。引き寄せの法則のように、そういうマインドでいれば、自然と前向きになって物事が好転していくのだ。それは分かっているけれど、私は中々、人生の選択に自信を持つことができない。
ここ数年、もう無理かもって思ったことが何度もある。まず、転職した職場が本当に合わず、体調を崩した。さらに住んでいる家も街も好きになれない。2021年のことを思い出そうとしても、ぼんやりしていて輪郭を掴めない。去年2022年はマイナスをゼロに戻す、そんな1年だった。結局、仕事も家も、住んでいる街も変えて、新しいスタートを切り直して2023年を迎えた。この2年間、私は何度も「あの時の選択が間違えていたのかな」とか「あの時こうしなければ今頃…」なんてことを考えてばかりいた。

どんなときであれ、何度でも。流れに逆らわず、激流に身を委ね、決して沈まず、やがて立ち上がる。
「たゆたえども沈まず」原田マハ

本を読んでいると、心に響く文章に出会うことができる。文章たちは、変わることなく、本の中で待っていてくれている。変わるのは私たちだ。その時自分が置かれている状況や抱えている悩みによって、同じ文章でも、心への入り方が全く違う。
どんなことがあっても、決して沈まず、やがて立ち上がる。2023年を迎えた今、少しずつ生活が肌に馴染んできた。2021年から、沈みかけたことは何度もあった。いまだに、過去の選択を思い返すことは少なくない。でも「あの時こうしててよかったな」と思えることは多くなった。私は確実に、立ち上がろうとしている。

終わりに

フィクションには無限の可能性がある。自分の選択は間違ってはいないだろうか、と苦悩するテオに寄り添った加納重吉という人物の存在や、そんなテオに「強くなりなさい」といった林忠正の言葉は、全て虚構だ。けれど、虚構にこそ、力がある。そんなフィクションに、私たちは救われている。
アートが好きな人はもちろんのこと、今、自分の選択に自信が持てない人にも、この本は響くと信じている。

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