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メタなウルトラマン、ベタなディズニー

 さて前回に続き、ディズニーがらみの話題です。前にディズニーランドの着ぐるみキャストの方がカラダを壊したという労災裁判がありましたが、勝ち負けもさることながら、裁判の過程でぬいぐるみのキャラクターの種類を明かせないというバカげたというか恐ろしいやりとりがあったのだとか。
 よくテレビで着ぐるみキャラクターをとりあげるときに「中に人なんて入ってない」などというやりとりをみかけますが、その設定って人の健康よりもダイジですか?健康問題の向こう側には人命問題すらあるのです。そこにあるのはもはや夢の国ではなく魔境では?

 こういった「設定問題」で思い出すのは、保育園時代の親友のこと。彼はウルトラマンを語るときに当たり前のように「背中のチャックが…」と言っていた。思い出の中にあるウルトラマンのデザインはあの背びれコミなのだ。
 彼が必ずしも極端にませていたわけではなかったといえるのは、ウルトラマンと今でいうところのコラボ関係にあった小学館の学習雑誌(小学一年生などの)には当然のように毎号ウルトラマンの記事がのっていて、さらに小ネタとして特撮テクニックに関する記事が載っていたのです。つまり小学校一年生の時点でウルトラマンが作り物であることは公然の事実で、だからとってい楽しみが減じるわけでもなく、特撮というちがった意味での夢が広がっていったのでした。
 あ、そうそう「チャック」というのはファスナー或いはジッパーのことですよ。昭和はチャックと言っていたのです。

 さらに思いだすのは当時「GIジョー」というアメリカの会社からライセンスしてリカちゃんでおなじみのタカラが発売していた兵隊さん人形があったのですが、兵隊さんごっこがすたれてくると、それに着せれば兵隊さん人形がウルトラマンや仮面ライダーに早変わりする「着ぐるみ」シリーズが発売されたのでした。ようするに兵隊さんを現実の俳優のごとく使うというメタな世界観です。
 手持ちの人形を無駄にせずにセカンドキャリアを提供するというSDGSな展開ではないでしょうか。さらに言うなら、こうした絶妙なバランスの種明かしが後の「ゴジラ」のオスカーへと続いたのではないでしょうか。

 ところで、よくディズニーの非社員スタッフがトラブルに際して毅然として対処したというような「美談」が語られますが、要するに身分の保証されていない非社員に過度な任務を負わせているのでは?と思ってしまうのですが、ディズ二―のスタッフというのは「惚れた弱み」な世界らしいので、そうした構図は今後も続いていくのでしょうか?



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