死なない理由

2,3歳の頃、寝て目が覚めたら母親が「いなく」なっていたらどうしよう。と不安だった。実際に起きたらいなかったということも、あまり記憶にはないが実際にあったような気がする。

小学校になって弟妹ができてからは、今度は自分が「いなく」なりたい、と思うようになった。
家出したかったし、死にたかった。

「いなく」なったら母親が振り向いてくれるかな?
少しは悲しんでくれるのかな?
でも死んだらそれが確認できないのか。ざんねん。
ちゃんと悲しんでくれるところを見てみたいな。

リストカットなどは怖くてできなかったけど、自傷行為としては、大学生になって家を離れるまで爪や指の身まで齧ったり剥いたりする癖が止まらなかった。
お陰で指も爪の形もボコボコで歪で汚い。
マニュキュアとか指輪とか、指先のオシャレをしようとも思わない指になった。

当時に今くらいネット環境があれば、どうやったら楽に死ねるか調べてこの世にはいなかったかもしれない。

引越で父親の地元を離れるまでは近くだった、親戚で幼馴染の家のコタツは煉炭だったし、何らかの洗剤を混ぜたら死ぬらしいというのもあったが、当時のわたしの情報源は新聞だけだった。
新聞にイジメで自殺した小学生の記事が載ったとき、「小学生でも自殺、できるんだ!していいんだ!」と衝撃を受けたのを覚えている。
けど、やり方は当然載っていなかった。

高い建物といえば通っていた小学校くらい。
通常入れるのは3階くらいまでで、下を見ても死にそうな高さではなかった。

踏切は家から2km離れた小学校の近く、さらに離れたところにあり、母親から
「絶対に線路で遊んだり、石を置いたりしてはいけない。すごくたくさんのお金(賠償金)を支払わないといけなくなるから」
ときつく言われていたので
石ころにも存在の劣るわたしが踏切に飛び込むなどあってはならなかった。

中学生を過ぎると家から「いなく」なれる時間ができた。

大学生になって完全に家から「いなく」なれた。

生きるのに夢とか希望とか意義とか理由はなかったけど、家から離れたのが死なない理由になった。

わたしが今生きているのは親が産んだせいだ。
自分のせいじゃない。

生きる意義や理由がない、意義や理由が見つからないのは仕方ない。


もちろん生きる理由もあってやりたいこともある人、できる人は素晴らしいとは思うけど、親のせいで生まれてきたのに、しかも親のせいで生きづらくなった人にはそんなに積極的でポジティブで一生懸命な生きる理由はいらないんじゃないかな。そこまで考えないといけないなんてクソマジメすぎる。


生きる理由はなくても、死なない理由があればいい。
死なない理由が1つでもあれば、生きてるはずだから。

小学校のときは情報源が少なかったのが死ななかった理由。

中学からは、家から離れたのが死なない理由。

そして今はパートナーと暮らしているというのが死なない理由。

パートナーとはお互いに自己ネグレクトの傾向があるので死ぬなら一緒に死にたい。
「どっちが先に死ぬのがいいか?」という話をしたこともあるが、
わたしが看取られたあと一人で生きていくパートナーを想うと先に死んでくれと思うし、といって先に死なれるとわたしに死なない理由がなくなる。
そうなったらそうなったでわたしはまた別の死なない理由を見つけなければならない。

まぁ、今はまだそれも考える時期じゃない。
というか考えたくもない。

今死なない理由はそれだけ。







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