母親からの手紙ー毒親と対決前夜祭

今年も近づいてきた、母親の誕生日。
どうも母親はわたしに構って欲しいのか、自分の誕生日前になると仕掛けてくる。

コロナ禍だった2年前の5月くらいだっただろうか、あれほどわたしには構うな、と言ったのに(対決1https://note.com/a_enfans/n/nc95dd9d02847 )母親はまたちょっかいをかけてきた。

手紙が1通届いた。
もう現物も残ってないし大まかにしか内容を覚えてもいないけど、
わたしにした子育てへの«謝罪»の言葉と
わたしが弟妹の面倒をみた、手伝いをしたことへの«感謝»と
わたしが小さい時に«何も買ってあげられなかった»と1万円が入っていた。


当時これでもまだ母親が毒親とはつゆ知らず、その手紙を読んだわたしは、また荒れた。
手紙を引きちぎり、Kくんに怒りをぶちまけた。

母親は«謝って»いる
そして«感謝»していて
1万円までくれた。

なのになぜわたしはこんなに心がゾワゾワするのか?
目がくらむほど怒りが湧いてくるのか?
構うなと言っているのに、なぜ未だにわたしに構うのか?

この頃、母親のこともあったけど、アダルトチルドレン風味のおばちゃん主催のカラオケで明らかになった、
「Kくんのことをまだまだ女としては見れない(受け入れられない)」という自分の感情にもまだ折り合いがついていなかった。

睡眠が盛大に乱された。

寝付けない。
途中覚醒。
早朝覚醒。

(今なら寝れなければ、noteに書き殴るところだが)
noteをまだ知らなかったわたしは、それでも同じことースマホのメモ帳に書き殴ることーをした。

なぜ育て方を«謝罪される»ことが、わたしをザラザラした気持ちにさせるのか。
覚えている2歳からの記憶を書き殴りながら考えた。
つまり母親はわたしを«失敗作»として見ている。
(母親が毒親と分かった今なら、わたしの存在を否定したね!とすぐ解答が出る)

なぜ手伝いを«感謝»されているのに、わたしの怒りを生むのか。
これは毒親とわかる前から、わたしには明快に答えがあって、
まず第一に感謝するのが遅すぎること。40年ほども経った今じゃない。その言葉は小さかったわたしに言わなければ、すでに何の効力も意味も持たない。
それから、弟妹の存在は、母親をわたしから奪った嫉妬の対象であり、母親の関心を得たかった一心で手伝いはしていたこと。感謝«されたくて»していたことなので、本来感謝される謂れがない(複雑!)こと。
(今ならヤングケアラーしてたね!というだけの話)

お金を未だに渡してくるのも、今まで散々お金がないない、ないないと言われてきて、中高大と私立に行ったわたしは引け目に感じているのに、«当時何も買ってあげられなかったから»とさらにわたしに引け目を上塗りさせていること。

書き殴るうち、小さい頃の自分は、本当は母親に褒めて欲しかった、話を聞いて欲しかった、と次々にして欲しかったことが湧いてきて、母親にそういったことを一切してもらったことがないことに気がついた。
ーこうやって寝られなかった間、インナーチャイルドを癒やす、という言葉も作業も知らなかったのにしていたらしいー
確かにわたしは毎日毎日、母親に対する想いをスマホのメモ帳にぶつけることで、1ヶ月かかってやっと少しずつ落ち着いてきた。

メインの会社にも泣き腫らした目と頭の回らない睡眠不足で行けなくなった日も出てきて、恥ずかしながら女性社長にも泣きついた。Kくんには「わたしの母親、オカシイと思う」と訴えていたが、身内ではない誰かに話を聞いて、欲しかった。
はたして社長は小さい頃の記憶で、今現在の母親との関係で、苦しむわたしの話を聞きーコロナ禍にも関わらずーぎゅっとしてくれて、背中をヨシヨシ擦ってくれた。
母親より母親らしく。
ー小さい時に«母親に一番»して欲しかったこと
だった。








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