性別へのこだわりー自己肯定と自己否定

りゅうちぇるの死後、Kくんの様子は少し動揺があって何か言いたそうだけど、すぐ「また後で」と濁してしまう。

毒親について調べたここ2年ほどのうち、わたしはKくんの自己肯定の低さに気がついた。わたしももちろん相当低かったのだけど、無理矢理にわたしはできる、わたしは完璧、わたしはかわいいなど思い込むようにしていたので、自己肯定の低い人の特徴を読んでもしばらく自認ができなかった。
Kくんの方は逆にいつも「自分はだめだ」と言っていたのでわかりやすかった。

わたしの場合、自己肯定の低さは毒親が原因なのは明らかだ。でも、Kくんの方は?
ご両親は離婚しているとは言え、高校生の時と聞いたし、頻繁にお義母さんとも会っていて関係も悪くないし、亡くなったお義父さんなんて、医者の認知テストに「子どもは3人!(Kくんと妹さんの2人が正解)」って答えてしまうくらい(わたしも子どもに入れられてる(笑))の優しい人だ。

Kくんに心当たりを聞いてみた。
「ばーさんがキツい人で、小さい頃から否定されていた」

そっか、毒を与えるのは親とは限らないのか。

Kくんの家に転がり込んだ頃、ばーさんはまだまだ現役で新聞の集金をするのに自転車を乗り回したり、晩ごはんも作ってくれたりしていた。でも、そういえばよくKくんはばーさんのことになると、壁にばーさんを押し付けて怒鳴ったり、急にキレることがあった。
いつも穏やかで全く暴力的なことも感じないKくんが、ばーさんのことになると急に暴走することがあってわたしは驚いていた。

わたしの家は核家族で、祖母というものに思い入れはない。年長者は敬うべき、親は大事にすべし、みたいな世の中のアタリマエを信じていた。ばーさんのことで豹変するKくんには「まぁまぁ、ばーさんのすることだし」となだめていたと思う。

後にKくんがばーさんに対して怒っていた以上に、わたしは毒母親に対して半狂乱になっていたのに(汗)

そして、この前話をしたのはKくんの自己否定だ。いつも男の体に産まれたことを呪っている。
Kくんは、「わたしにも共通の友達にもあなたという«人»でいい、と言われる、それではだめなんだ」と言う。
そこにすでに前提として男や女という性別があるから、「男でも女でも関係ない«人»という発想になるんだ」と言われれてしまった。Kくんは遍くすべての人に女として見てほしい、認めてほしいと言う。

わたしは性自認は女だけど、男も女も嫌いなので無性に近いらしい。ちょっとネットでも調べれば当てはまる言葉もあるんだろう。シスやら、なんたらロマンチックやら。でもわたしはわたしと思っているし、そういうカテゴライズすること、言葉に当てはまるのかどうか調べることすら、メンドクサイ。興味が湧かない。

性別に全くこだわりもないわたし。化粧もしないし、服にも興味がない。
むしろ今日なんて生理中で、仰向けで少しの時間涼んでいただけで、座布団を伝い漏れで汚してしまって「女なんて、クソめんどくさい」としか思えない。


そして女にしか見られたくないKくん。


少し話が平行線な今日この頃。


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