今年もこの季節がやってきた
自分の誕生日も心がざわつくが、半年後にも同じく心がざわざわする日がある。
わたしを産んだヤツの誕生日。
母親も、そして娘であるわたしまで苦しめられることになる始まりの日。
母親に用意されていた名前は「剛」。
男の子の跡継ぎを必要としていた家に、まったく歓迎されない四女となった母親の名前は、漢字の「剛」はそのまま、読みだけ「こう」に変えられた。
長女の名前は宝子。
何女か知らないが、たぶん次女が幸子。
もう1人いるおばさんはエホバの証人をやっていた。
宗教にハマったということは、このおばさんにも何かしら問題がありそうな気がするので三女だろう。
わたしの親もエホバの証人にハマった一瞬があって、その時に1回だけ会ったが、名前は忘れた。
ちなみに後継ぎとなったおじは、コロナ前に結婚することもなく死んだので、結局母親の実家は宝子さんが守っている。その後どうなるのかは知らない。
愛を知らない未熟で幼稚な母親は体だけ成長して、同じく機能不全家庭で育ったいとこの間柄の父親と19歳で結婚し、
20歳でわたしを産んだ。
それから40年ほど。
やっと育った家庭に問題があったと知ったわたしが、母親にやんわりとした絶縁の手紙を送って2年になった。
まだ自分のアダルトチルドレンっぷりがわかっていないときに書いた手紙だったので、今ならもう少し踏み込んで書けたかもしれない。
親としてしてくれたことももちろんあるはずだけど、
アダルトチルドレンの「すべき」理論、
「親なんだから子供には○○すべき」でやっただけだろう。
とか穿って考えてしまうし、
奪われたものの方が大きく感じられて、感謝するという感情が今もほぼ湧いてこない。
でもそれでいい。
親に感謝なんてできなくてもいい。
親に感謝だとか情愛な気持ちが湧かないけど、何が悪い!
無理やり持とうとするから苦しむことになる。
「親には感謝すべき」
はできる人がすればいい。
というのがやっとわかってきた。
被害者ではあるけど加害者でもある母親は、まだ闇の中で苦しんでいるのか。
こういう今思っていることも含めて、もう一度手紙を改めて書いてみたい気もするが、的の外れまくった反撃が怖いので(笑)、やめておく。
「合わせる顔がない」という言葉面は悪くない感じで、そもそも先に会うのを拒否してきたのはあっちだ。
絶縁状ではあるけど、わたしは母親に会うのを拒否したつもりはない。
でも母親は
「絶縁状を送りつけて娘が会うのを拒否してきたけど、会うのを拒否してるのは私の方なのよ!」
と思っていると思う。
母親としての矜持を保とうとしているのだろう。
いつまでもわたしを母親として支配しようとしているし、わたしを一個人として認めることはない。
それでも歩み寄ろうとするこどもに対して、歩み寄りができないのはいつも親のほうだし、そんな親を変えることもできない。
結局母親は親(わたしのじーさんばーさん)とわかり合えることがないままだったし、
このままわたしともそうなるんだろう。
それがあなたの選んだ道。
誕生日おめでとう。
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