人生のサイコロを振って
今夜は月の雨。
ちょうど1年前、朧月夜への恋心を人生初のフォトエッセイ「7305枚のキャンバス」の序文に綴ったけれど、実は今日に至るまでいろいろと浮気をしてしまった。望月、繊月、宵月、月暈…。孤月、あまりの明るさに夜空にひとり、孤独に佇む君に夜な夜な語りかけた。
いけない、誕生日が迫ってきているから、月の話はさておき、本題に移ろう。
私の人生のピクセルは誕生日を始点終点とした1サイクルで完成する。だから、今夜、この1年を振り返り、新たなサイクルへの決意表明をしたい。
「賽は投げられた」
カエサルほどの意気込みはなくいつも通りにとぽぽとしているけれど、私の20歳にタイトルをつけるとしたらこれが最もしっくりくる。賽。
正直、今までの20年間、全力を尽くすことも本気で挑むことも達成感も味わったことがなかった。友達が学園祭で出し切ったと涙を流す隣で達成感ってこんな感じなのかなと自分の感情の素っ気なさ、不明瞭さにモヤモヤしていた。主観でいうと、私は人生を最高に楽しんできた自信がある。毎日母が作るお弁当も美味しかったし、学生生活のたわいもない話も旅も、どれもかけがえのない思い出だ。けれど客観的に見ると、それなりに、なんとなく。人生の単調さに辟易し、ある意味、世界にひとつだけの私の人生を生きている心地がしなかったのかもしれない。自分には秀でた何かがある気がするし、大人にもそう言われるのにどうやってどこでアウトプットすればいいのかとずっと彷徨い続けてきた。
だからこの1年、自分に賭けてみた。自分なりに全力で挑み、努力した。何もかもが初めての感覚だった。これが努力か…これが達成感か…未知の世界だった。運を味方につけるという快感を知った。自然と涙が流れ、生きていると実感した。
双六
思えば、今まで双六のマスをつくり続けてきたのかもしれない。いろいろなことを知って経験してインプットして。おはじきのようにバラバラと散乱していたけれど、この1年で思いもよらないところでマスとマスが繋がっていって幾通りにも分岐した双六ができた。ゴールもまだ見えないし、ふりだしに戻るかもしれない、一回休むかもしれない。そもそもいつだって人より成長のペースが遅くて、なのにある日突然脱皮したかのように急成長するタイプだった。だから、賽の目が何だろうと進むわけだし、どのマスもきっと面白い。自家製の双六の勝負に自分を賭けて、賽子を振り、挑戦し続けたい。
賽の目
ものごとには幾つも捉え方がある。肯定的、否定的、客観的、主観的、中立的…。
同じ時間を共有し同じものを見ていても、表現の仕方は人それぞれだ。互いの価値観が似ているから居心地の良さを感じたり尊敬したり好きになるのだと思う。一の目が出たのに、もし二だったら?三だったら?全てを気にしていたら人生が足りない。だからこそ、賽子の出た目を信じるシンプルさと強い心を身につけたい。狭い世界で生きづらさを吐露するより、出会った中で縁を感じ居心地の良いヒト、モノ、コトを大切にして、広い世界へ自分を解放し探求したい。
今すでにこんなにも素晴らしい出会いがあるのだから、自分自身を愛することも含めて、側面ではなく真正面から愛を受け取り、同じくらい愛を返せるような人になりたい。
書き終わる今、もう誕生日が終わろうとしていて、月の雨と昼の秋晴れの辻褄が合わないなとかゴニョゴニョ考えたりもしたけれど、まぁそれもあり。なんでもあり。テキトーに毎日ニコニコ楽しく過ごせればそれでいい。
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