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#時空の森羅万象物語 第Ⅸ章第83節


遅い時間となってしまいましたが、物語の続きを投稿して参ります。

鏡祐達が森で迷い龍神の元に辿り着いてしまったのは、文字通り「神隠し」のようなものです。

屋久島では旧暦5月16日は「山の神の日」とされており、山に入ると帰って来ることが出来ないと言われています。

(この辺りのお話は第Ⅳ章第30節にも詳しく書いているので、そちらもご参照いただけると幸いです。)

この物語の龍神は山の神であるのはもちろん島自体の自然神の象徴でもあるので、神隠しの力を使えても不思議ではありません。

ただ鏡祐は「山の神の日に山に足を踏み入れてしまった事」と「龍神の力に無意識に導かれるようにして龍神の森に向かってしまった事」を、後に自分がやらかしてしまった罪深い行ないとして後悔し続ける事となります。

(島の誰もが知っているはずの「山の神の日」を本来一番覚えておかなければいけない巫女家の織姫が本気で忘却しているのは、真面目に人の話を聞くのが苦手だった(せっかちなので今でもあまり得意ではない)のと、ただ単にこういった事を記憶しておくのが苦手だったという理由から… σ(^_^;))



龍神が依代云々と言っている話の内容と、誓也にだけ龍神の声が聞こえた理由は、また後々詳しく解説していこうと思います。

龍神を含めた「神」という概念は、人間の意識の元に生まれ出来上がった「ミーム」的な存在に過ぎないのか?といった事も、この物語の大きな主題の一つになり得るものです。

堂々巡りなイタチごっこ的問題、もしくは鶏と卵の論争的な話ではありますが、ついこんな事を考えてしまいます。



今回も、ご愛読いただき誠にありがとうございます (^^)







中高生の頃より現在のような夢を元にした物語(文と絵)を書き続け、仕事をしながら合間に活動をしております。 私の夢物語を読んでくださった貴方にとって、何かの良いキッカケになれましたら幸いです。