見出し画像

できなくなったら

『暗い詩を書く小学生』

そう言われていたともつゆ知らず
思うままに詩を綴っていました。

母が先生から言われて怒り抗議していたというのも、だいぶ先の話です。

その頃
私は『目が見えなくなったら』という詩を書きました。

目が見えなくって来たという人の話を
チラッと聞いたのか、見かけたのか、はっきりとは覚えていません

私が眼鏡着用は中学生の頃

祖母の老眼鏡をかけて楽しんでいた小学生。
なんだか、大人になったような気がしてた私に祖母に『目が悪くなるよ」と言いました。

(老眼鏡をかけてたら目が悪くて、大人になれるんだ)

そんな事を思っていましたが、
段々と目が悪くなり(遺伝もあり)このまま、目が見えなくなるのかな…と不安になって来ました。

その事と目の不自由な方のお話がリンクしてできた詩でした。

目が見えなくなるってどういう事だろう?
目が見えなくなるとどうなる?

そんな詩だったと思います。

眼鏡をかけて見える世界はクリアになりましたが、カッコ悪い、邪魔と感じるようになりコンタクトにも挑戦。埃などで目が痛くなり
結局、眼鏡に戻りました。

最近では老眼も始まりました。

少しずつ、視力を失い最終的に見えなくなるという病気があると知ったのは、子供を産んでから。ある方の講演会を聞いた時です。

ある日、目が見えなくなってしまい、今までのように生活ができなくなったそうです。

悩み苦しみ、それでも、家族の支えがあり、
できない事を探すのでなく、出来る事を探すようにしている、と聞きました。

なかなか、切り替えってできないものです。
だけど、できない事探しは辛いです。
目が見えなくなっても出来る事はあるはずです。

数年前、盲目の方のTwitter(現X)がタイムラインに流れて来ました。

最初、盲目なのになんで文章打てるのかな?と思いましたが、音声入力でしてる事を知りました。ただ、同音異義語には苦労していると、ツイートに書かれていました。

コメントは読み上げ機能を利用してるそうです。

目が見えなくても文章は書ける
目が見えなくてもコメントは読める

読書だって、今は吹き込んだテープもあるし
アプリもある。





自分はただただ、目が見えなくなるのを待つだけ、どうしたらいいんだ!

じゃあ、こうしてみたら?

なんでわからない?
そうじゃないんだ!

見えなくなる恐怖は
その人にしかわかりません

少しずつぼやけていく景色

私も少しずつ視力が悪くなり
見えにくい世界にイラつく事もありました。

眼鏡は鬱陶しい
裸眼の人が羨ましい
じゃあ、コンタクトしてみよう

コンタクトにしたら目が痛い
じゃあ、眼鏡に戻そう

眼鏡は重くて頭痛がする
じゃあ、軽い眼鏡を探そう

そうやって
できる事を探してきました。

目が見えなくなるという恐怖に縛られているとできない事ばかりに目を向けがちで
できる事が少ない気がするけれど、
そんな事はないはず、出来る事もあるはず。

誰かに恐怖のイライラをぶつける前に
できる事を探して欲しいなと思うのです。

見えなくなる事がわかっているなら
見えてるうちに、準備しておく。

文章を書くのが好きなら
音声入力の方法をマスターしておく

読書が好きなら点字をならったり
読み上げアプリを視聴してみる

そうやって、少しずつ、できる事を探してみるのも心の安定になるのではないでしょうか?

全ての障害を理解できる事は難しいです。
だけど、寄り添い、アドバイスはできるはずです。
初めから、どうせ、わかりっこない!と喧嘩腰でこられたら、どうしたらいいか、こちら側も困ります。

小学生の私は見えなくなる事が
怖かったから、詩にしたのだと思います。

それは、小さな私ができない事ばかりに
目が向いていたからです。

できる事、できなくても「代わりになるもの」を少しずつ見つけてきたり、体験談を聞きながら、素直に受け入れてきたからこそ、
不安と恐怖が薄らいだのだと思います。

障害を持ってしまった
だから
何もできない

ではなく
障害はあるけれど
何かできる事はあるはず

そんな気持ちを持てたなら
困った時に手を貸してくれる人が
きっと
現れると私は思っています。

この世界
悪い人ばかりではないはずですから。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?