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書くことより自分が生きることの方が大事*毎日note120日を前に

noteで記事をひとつ、またひとつと
作り上げていく度に、
思ったことをまとめて置こうと思う。

正直120日も毎日投稿し続けることが出来るなんて、思わなかった。

一昔前のあの日から、集中力に欠けてきていて
本を一冊読み通すことも私には難しいことになっていた。

もちろん忙しさや加齢などの問題もあるだろうし、
小説などの物語はもともと入り込むのに苦手なので、
どちらかと言えばノンフィクションの方が多い。

読み方も何冊か同時に読むタイプだし、
本屋さんで立ち読みして充分になっていった。

雪崩のように、書き手の思考が
どんどん自分を犯していくようで、本を読むことは苦手になっていった。

それでも読みたいと思う本に出逢えた時は、
時間をかけて、日にちをかけて読んでいくこともある。


noteの世界に慣れてきた感じ

目に見えないローカルルールを理解してきたように思うので気楽。
いろんな人がいて、小学校なら70年生位までありそう。

話す時も読む時も年齢が関係なく、
感覚だけで共有できる空間であることに癒される。

誰かの書いたものに刺激とか癒しとか学びを貰える。

どなたかのコメント欄で、アンチな方に何度もあれこれ言われてた様子で
お相手のコメントは削除されていたので、内容は知る由もないけど
やはりそういうこともあるんだと思いながら、
反応がないより面白いよね、と思う。

時々コメントしたり返したりは、どこかでばったり出会って
お喋りしてるみたいで楽しいと思う。

続けると必然的にビュー数が増える

フォロー数やフォロワー数が増えてくると、
見られたり読まれたりすることが増える。
固定記事は読まれるし、サムネは大事だというのもその通りだった。
自分は何を大事に、どのように続けていくのかを必然的に考えてしまう。

①記事が増えていくと整理しなければと思いながらメンドクサイ。
②フォロワーさんの記事も読みたいと思うのに無理なので、
PCを開いた時に出逢う記事中心に読むことで良しとする。
③スキは挨拶がわりと知ったので、深く考えない。

たまにダッシュボードも見る。
どんな記事が読まれているかが分かるのだけど、
当たり前とは言え、男女関係や人間の機微のような内容が
読まれているんだな、と思う。
だけども現実の私は、恋愛小説なんて、
これまで片手位しか読んだことないんだけどな~と不思議に思う。
でも読まれているってことはそういう記事の、
そういう視点の文章が私に合っているのかなと思う。
いや、そもそもそこまで考えてる訳ではないので、
ただそういうのが私なのかと自分で知ることになっただけなのかも。
例えば料理は好きだけど目分量だし、
そういう記事を書くのはメンドクサイと思うかも。
専門的な記事を書いてる人も多いけど、
例えば仕事の延長なんて、書くのを考えただけでメンドクサイ。
そもそも誰も私自身に興味はないのだし。
逆もまたしかり。

書きたいことはお喋りのようなことだけど、
それで自分自身を癒してるのかな~
そうだとしたらもしかしてリアルな友達が少ないってこと?
現実に不満タラタラってこと?
なんとなく自分の輪郭が気になるようになった。
私はどんな人に思われてるんだろうか??

「書くことより自分が生きることの方が大事」

という言葉に助けられる

このセリフは90歳になられる詩人の谷川俊太郎さんが、
ある雑誌の対談の記事で話していた言葉だ。

さすが亀の甲より年の功。

書くことは頭の整理に役立っている気がする。
あるべき場所にあるべきピースをはめ込んでいくようで、
ひっくり返ったおもちゃ箱がそれなりに片づけられてる気分になる。

これからたくさん本を読みたいなぁ。
読めるかも知れない。少しそんな希望を抱いています。

それから変えたこと。
そう言えば私はお喋りだったので、書き込むことは
ほんの何秒か数分のことにした。

私のことに興味はなくても、
私の考えたことや過ごした時間の興味なら、
自分と重ねることで出てくるのかなと思ったから。

読んで欲しいと言うより、そこから自分と感覚の近い人とか、
もっとこの人の記事を読みたい、という人に出逢えるから。

でもエッセイと散文と散文詩のちがいが分からなくて困る(笑)

毎日note120日を前に、私のハートをこじ開けて見ました。


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