アラサー女、2年のインド生活後に想うこと

そっと本帰国するので、メモしておこう。あとで恥ずかしくなったりするかもしれないが、それも人生のスパイスになると信じて。

インドでの仕事、2年間の生活で学んだことがたくさんある。

生活する場所が変わってもコミュニティがあれば生きていけるということ。

助け合って生きていること。

迷惑をかけるのが普通だということ。

何もかも自分のせい、じゃないと捉えること。あらゆる残念なことはよくあることで、「そういうもん」であること。

相手にも悪いところがあるし、自分のコントロール範囲外のこともあるし、自分は悪くないのだということ。

英語は完璧じゃなくても、相手を理解しようとする気持ちがあればわかりあえるということ。

誰も皆、ご飯はやっぱり母国のものが好きだということ。

歳を重ねても素直に色んなことを楽しんだり受け入れたりして子どもみたいになっていいということ。

こういった人生における価値観や考え方も然り、ビジネスや遊びでもリマインドが何度も必要であることや、時間の余裕をもたせることなどインドならではのことも学んだ。

なかでも、個人的にしっくりきた学びがある。それは日本ではあまり感じにくいけど、世界の真理のひとつでもあるように感じたことだ。

それは、わたしたちは流動的な世界で生きているということ。

先ほど「何度もリマインドが必要」と述べたが、約束していた日が前日や当日に変更になったり、突然のキャンセルもある。

そんな事象を数多く経て、わたしたちの、なんていうのかな、存在および人生は、内外の環境の変化をうけて、一つの場所にとどまったり、ある場所に指定された時間に確実にいけるというのは奇跡に近いのではと思ったのだ。だから、何かの影響を受けて予定が変わることはザラにあるのだ、と。

1年半くらいその事象が起こる度に、相手を尊重していないと思ってイラっとすることもあったが、それは仕方のないことである。なぜなら、そもそもわたしたちは動き回る流星のようでその星星が同じ向きに走ったり交わったりすることなど、奇跡だ。必然のふりをした偶然なのである。

と、世界を捉えることで、予定の変更も仕方ないことなのだと、出会うことができれば奇跡で感謝すべきことなのだと、そう思う境地に至った。(悟り開けそうかな?)

これはインドで多く感じたことだが、なんか世界の真理っぽくないか?とさえ思うのだ。わたしたちは誰かと出会い、そして別れていく。これは流動的に動くわたしとあなたがたまたま同じタイミングでそこにいて、そしてまた何か引き寄せられるものに引っ張られ軌道を変えていく。

当たり前のことかもしれないが、インドではそれを強く感じ、計画変更の事象に苛立たせる自分を納得させる世界と捉え方だった。

インドでの生活はいくつもの学びがあり、考え方が増え、2年と短かったが、人生的にはプラスになったのではと思うインド生活。またいつか呼ばれたら行こう。

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