近所の甲子園おじさんがかわいそう
近所にいる50代のおじさん。どんな会話の流れでも、最終的に出てくるのは高校時代の「甲子園出場」の話だ(レフト)。
まるで、あの瞬間が彼の人生のハイライトであり、すべてを象徴しているかのようだ。(レフト)
いや、彼にとっては本当にそうなのかもしれないけど、正直、同じ話を何度も聞かされる側としては、もうそろそろ違う話題にしてほしいものだ。
甲子園の栄光にしがみつくのはもういいんじゃない?
過去の栄光にすがりつく姿は、なんだか少し滑稽に見える。
もちろん、甲子園に出場するなんて、普通の人にはできない経験だ。
でも、それを50代になってもまだ引きずっているって、なんだか残念じゃないか?
いつも同じ話ばかりしていると、他に誇れるものがないように見えてしまう。
それに、甲子園時代の話だけが彼の存在価値だと思っているなら、ますます可哀想に見えてくる。
スポ少コーチでのリピートトーク
さらに、おじさんは今、地元のスポーツ少年団でコーチをしている。
若い選手たちにとっては、新鮮で興味深い話なのかもしれないが、彼らもいずれ「また甲子園かよ」と思う日が来るだろう。
結局、おじさんの話題の引き出しの中身が、すっかり乾ききっているのが問題だ。
現実を見ようよ、おじさん
過去の栄光は、それがどれだけ輝かしかったとしても、あくまで「過去」のものだ。
今の自分が何をしているのか、これから何を成し遂げたいのか、そこにもっと目を向けるべきじゃないだろうか。
そうしないと、いずれ「甲子園おじさん」としてだけ記憶されてしまうのがオチだ。
どうか、これ以上過去に縛られることなく、現実を見つめて新しい挑戦に目を向けてほしいものだ。
いつか、おじさんが「最近の俺、こんなことやってるんだよ!」と語る日が来ることを、心のどこかで願っている。が、到底抜け出せないだろうな。
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