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交わる/交わらない

たくさんの場所にふたりで行ったけどきみとわたしは友達である/尾崎飛鳥

「あの時私のことちょっとは好きだったよね?」と意味のない質問をしそうになる。初めて部屋に泊まった翌朝に抱きしめられた時。「遅いんだよ」という言葉が空耳かもしれないけれど聞こえた時。こんな質問に意味がないことを分かるくらいには大人になったから、実際に聞くことはしないけれど。

 恋愛というのは、結局はタイミングが全てだと思う。いくら当時好き合っていても、その時に気持ちを確かめ合わなければ、意味がない。ちょっと早かったりちょっと遅かったりしただけで、未来が180度変わる。

 私はこういうことがすごく多い。と、自分では思っている。実際に確認したことがないので本当のことは分からないから、思う。としか、言えない。私は自分の気持ちが自分で分かっていないのと、素直になることが苦手なので、いつも「あなたのこと別に好きじゃありませんよ」という態度を取ってしまう。そして向こうが離れていきそうになって初めて、好きだったんだと気づく。

 お互い気があった時期が確かにあるのに、交わらない男女というのは、意外と多い。お互いのことが大切すぎて友達でいようと決めたり、お互い恋愛に臆病で決定的な言葉を切り出すことができなかったり。

 私は、交わらなかったということは、それが正しいことだったんだと思ってしまう。全ての事象において、「そうなった/そうならなかった」ということは、「そうなった/そうならなかった」のが正しい姿なんだと思ってしまうのだ。

「あの時私のことちょっとは好きだったよね?」という質問に意味がないのと同じように、終わったことについて考えるのは、あまりにも無意味だ。次に活かそうとしたところで次は相手が違うのだし、相手が違うということはつまり自分も違う人間になっているからだ。だから反省することは大事だけれど、次に活かされることはない。

 そして、交わらなかったということは、結局はその程度の好きだったんだろうなと思ったりもする。いつだって選択してきたのは他の誰でもない私で、「私たち友達じゃん」と言ったのも私だし、気持ちを伝えずにこのまま友達でいようと決めたのも私自身だ。本当に好きで好きで堪らなかったら、友達で居続けるのは無理だ。友達で居続けられる程度の好きだったんだ、と思う。

 もしお互いの気持ちを確かめ合わずに友達になってしまっても、お互いが強く惹かれ合っていれば、いつか交わることができると思うのは、あまりにも夢を見すぎているだろうか。

 私とあなたが本当に運命の相手ならば、今は友達でも、いつか遠い未来で結ばれると私は信じている。「運命」という言葉を使っている時点で、夢を見すぎていることは間違いないのだけれど。

正直な気持ちを言えば好きだけど付き合いたいとかそういうんじゃない

まだ好きじゃないまだ好きじゃないと言うたびに気持ちが好きに近づいている

ちゃんと「好き」と言うのが怖くて「付き合ってみるのはどう?」とか言ってしまった

好きだった人がただの友達になってわたしもきみも別人?

イルミネーションをふたりで見ていても手も繋がない 友達だから

わたしたち友達なのに(友達だから)大事なことはなんにも知らない

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