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愛されるのがこわかった

24歳の頃、私は人生のどん底にいた。

きちんと別れないまま遠距離になり、1年以上会っていなかった、電話もしていなかった、向こうからたまに近況報告のLINEが来たけれど私はすべて既読無視していた、元彼から、私の誕生日に写ルンですとチェキのフィルムがたくさん入った箱が送られてきた。手紙も入っていた。泣いた。この人はどうして私が一番欲しいものが分かるんだろうと思った。

私が人生のどん底にいたことと関係なく、多分私は1年前から別れたくて、でも別れる決心がつかなくて、なぁなぁにしてしまっていた。どん底からなんとか這い上がり、働けるようになったばかりだったので、元彼から誕生日プレゼントが届いて、またどん底に戻るのはいやだと思った。だから、そういうLINEを送った。まだ別れは切り出せなかった。

その半年後くらいにコロナが流行した。記憶が曖昧だけれど、横浜に帰るつもりだったがコロナで行けなくなったというようなLINEが来たと思う。コロナが落ち着いたら会いたいと言われ、私はようやく、もう会えない、と言えた。

1年以上会っていなくても私が一番欲しいものを分かってくれていて、付き合っていた時もものすごく大切にしてくれていた、そんな人を切り捨ててしまった申し訳なさのようなものを、結婚した今も、これからも、ずっと抱えて生きていくんだろうと思う。

私は愛されるのがこわかった。

今の夫から愛されることは、不思議と、最初から、こわくなかった。

ものすごく大きな心で、ものすごく大きな愛をくれているのに、それはひしひしと伝わってきているのに、「重い」と思ったことは一度もなかった。私の夫は自分の愛の大きさを伝えることよりも、私がどう感じるか、それを一番に考えて、接してくれる。いつどんな時も。

昨日、友達が家に遊びにきた。飼っているトカゲを見て、「大きいね。大事に育てられたんだね」と言ってくれた。うれしかった。

爬虫類は構いすぎたらストレスになる。だから適度な距離感で接して、触れ合える機会は少ない。もちろんハグもできない。でも、ものすごく大きな愛を、愛情たっぷり注いで、育てている。私の夫はそういう大きな心を持った人で、それが間接的に伝わったのがうれしかった。

愛されるのがこわかったことをもうずっと忘れていて、でもこわくなるくらい愛してくれた人がいること、今は大きな心で包み込んでくれる人がいること、そのどちらもが、今の私を作っている。

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