見出し画像

大丈夫

大丈夫
心配するな
なんとかなる

「とんち」と言えば一休(いっきゅう)さん
…と、すぐに名前が浮かぶのは一定の年齢以上の方だけかもしれませんね。
一休宗純(いっきゅうそうじゅん)は室町時代の臨済宗のお坊さん。
お正月に「おめでとう!」「めでたい!」と浮かれる世間の人たちを見て、

門松や 冥土の旅の一里塚
 めでたくもあり めでたくもなし

と詠んだそうです。
お正月も死に至るの道中の1日なので、めでたいけど、めでたくもないよね って感じの意味でしょうか。
周りの雰囲気に流されない、独自の視点で冷静に物事を見られる方だったのでしょうね。
生真面目ではなく、ブラックジョークが扱える遊び心のある方だったのかもしれません。
あるいは皮肉屋さんか。
独自の視点を持つ方って、常人とは違う捉え方ができる人なので、世間的には変な人と思われがちな方と思います。
物事を深く洞察できる人や、メタ認知で事象を読み解く人は変人に見えるものかもしれません。

さて冒頭の言葉ですが、死への床にあった一休さんが、世話をしてくれたお寺の関係者に遺した手紙にあった文章だそうです。
「このお寺が危機の時、開封しなさい」という言葉が添えられていたとか。
一休さんは亡くなられましたが、そのお寺は続いていきました。
ある時、お寺に存続の危機がやってきたそうです。
あの手この手を打つものの、危機を脱することが出来ず、もはやこれまでか…と困り果てたお寺の方。
思い出して一休さんの手紙を開封。

大丈夫
心配するな
なんとかなる

と。
その後、お寺がどうなったのかは分かりませんが、あらゆる手段を講じ、切羽詰まって手紙を開封した方に向けたユニークなエールだったのでしょうね。
あるいは、あれこれ手を尽くす課程で、我を失っていた読み手の頭を落ち着かせる意図だったのかも。
人事を尽くして天命を待つ、の結果、危機を脱してくれていたならいいなぁと、大昔のこのお寺を思います。
ちなみに「大丈夫」とは、大きな丈(たけ)の夫と書きます。
身長が高い人は頼れる人物、という統計結果はないですが、身長の数値に関係なく、背筋のシャキッと伸びた人が隣に居ると、なーんとなく大丈夫な気分になるように感じます。
僕は猫背なので、背筋を伸ばすように心がけます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?