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受け止める と 受け入れる

世界には色々な人がいて、自分と全く同じ価値観の人は一人だっていないと思うべきですよね。
多様性を認めよう、という考え方が世界のベーシックになりつつありますし、そもそも普通の人なんて方はいないのでしょうし。
価値観が色々な相手、様々な視点・観点や感受性の相手の発信は、異文化交流と思います。
何かの判断をする時、自分の中にある知識や体験が拠り所になって選択肢ははじき出されます。
だから、データベースの異なる人からは同じ問いでも別の選択肢がはじき出されるのは、とても普通の事です。
隣の芝は青く見えるように、相手の示した選択肢はより良いものに感じたり、斬新な切り口だと感じてしまう気がしますが、逆に「そんな選択肢など論外だ」と拒否感が発動することもある気がします。
それはお互い様なのでしょうけどね。
相手の意見に対して、どう反応するかも多様性があると思います。
ただ「受け止める」というスタンスは大事にするべきと思います。
傾聴の姿勢は円滑なコミュニケーションには大事ですが、相手の意見をすべて「受け入れる」と、自分の意見がない人になっちゃいます。
自分の意見を持たない人にもなっちゃいます。
完全拒否はコミュニケーションは進まないので、「受け入れる」までは行かないまでも、「受け止める」はすべきなのだと思います。
ボクサーが一番疲れるパンチは、相手にブロックされたパンチではなく、サラリと回避されたパンチらしいです。
自分の意見が相手にジャストミートしなくても「受け止める」されると、ちょっと満足するのが人間なのかもしれません。
もちろん「受け入れる」に値する考え方ならば、今後の自分の引き出し、自分のデータベースに加えれば良いと思います。
「受け止める」から「受け流す」というテクニックもある気がします。

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