見出し画像

とげ

文字は強い。言葉も強い。強さがある。円くもなるし、とんがることもある。

文字の強さ

TwitterやInstagramといったSNSメディアは文章を書いて投稿する。吟味して推敲して投稿している人もいると思うが、SNSは気軽なハードルの中で使えるということはメリットの一つになっており、そう感じている人の方が多そう。

私もSNSメディアを使っている。Twitter、Instagram、このnoteもそうだ。Facebookは以前までやっていたが、アカウントを所有している理由がないかなと思って削除した。

それぞれに自分なりの目的を持って使っているが、周りの人の投稿によって自分が一喜一憂することがある。

仕事が忙しかったり、それによってプライベートが充実していないと感じていたり、疲れが蓄積していたりする時にSNSを見て、例えば知り合いがすごい楽しそうにしていたりとか、充実していたりとか、知り合い同士が遊んでいたりとかすると、自分の状況と比較して落ち込んでしまうのだ。

最近なんて周囲がどんどん結婚ラッシュ(多分第三次ラッシュ)で、ついには自分よりも年齢が若い後輩たちが結婚し始める歳になってきた。
別に今すぐ結婚したいとか、結婚願望が強いということではないのだが、私の中にある結婚イメージのせいで素直に喜べない自分がおり、さらに自己嫌悪的なサイクルに陥るのだ。

相手が悪いということではない。相手にはむしろ悪意なんてないのだけれども、自分の状況や受け取り方によって、その文字に強さが帯びていってしまうのだ。
知り合いのいない誰もいない世界に行きたくて、違うアカウントを作ってちょっと小休止したり、行ったり来たりしている。たまたま戻った時に限って知り合いの投稿に落ち込んだりしている今日この頃だ。

言葉の強さ

言葉には感情が乗っかると思っている。その時のその人の感情やその強さによって言葉の強さも変わってくる。

例えば、疲れている時に頼まれごとをされた。嫌だけど、仕方なくやってあげるときの「わかったよ」には嫌そうな感じがどうも含まれてしまう。疲れていることを癒してほしい気持ちの裏返しでついつい嫌な言い方をしてしまい、結果喧嘩になる。とか。

例えば、職場の嫌いな人とやりとりしないといけない時に、嫌そうな感じが出てしまうとか、ぎこちない感じになってしまうとか、早く終わらせようと急かすとか。同じことを違う人に言うときに、あの人にはすごい丁寧で優しいのに、自分にはそっけない態度だったり、何なら事前説明がないとか。

ただその言葉の感じだけ受けると、やな感じ!ってなるだけなんだけど、言葉の奥にあるニュアンスに妙に気付きやすい傾向があるみたいで、
「あー、この人私のこと嫌いなんだ」って何故か察してしまうという。
ただの被害妄想と思われるかもしれないし、実際、ただそういう言い方しているだけな場合もあるが、明らかにニュアンスが含まれていることもあると私は思う。

イライラしていたり、攻撃的な部分が言葉尻に出ている人も結構いて、自分自身も余裕のない時にはそういう風になってしまうこともある。
丸みのある言葉の使い方や選び方をしたいと思う。




かぬと言います◎ ぽろぽろときもちやおもいを書いています。たまにらくがきします。読んでくださりありがとうございます☺️