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[7月]あつい夏に溶かされて

1週間、毎日30度超え。
外に出たら、直射日光で焼けられているあの感じ。
この1、2週間を超えたら、また心地良い日々が来る。
北海道や北東北の夏はあっという間である。
ほんとうに短い夏、どうやって過ごそうか。



こんなこと書いたら、だれかに怒られるかもしれない。

だれだか知らないけれど。


何年も家族や好きな人たちにも会わないで、
ひとりで生きられるほど強くなりたいし、

祖父が亡くなった病院の前を通って、
祖父のことを考えないようになりたいし、

あの時、もう少し我慢できていたら良かったかなとか、

もう一年、北海道に居たら良かったかなとか、

ひとりの時間、余計な言葉が頭を巡る。

そうゆう時は大抵、
会いたい人に会えない時間である。
=暮らしのひとつが上手くいってない時である。






果たして、家族や好きな人に会わずとも生きられるのが強いというのか、
亡くなったひとのことを考えないことが凄いというのか、
そこらへんのところの受け取り方は各々だと思うが、

ふとした時に、上文のような言葉が頭を巡るのは結構、面倒な事態。
なかなか抜け出せない負のループの真ん中にいるように。


何もなくても会いたくなって、会いに行ってしまうのが私だし、
会いたい気持ちを我慢できないのも私であることを知ってしまった時、
その対処法は、会いにいくしかない。(今のところ)
けれど、会うことを許されない時がある。
(約束していない時とか。もう会えない人だったり。)
他人からしたらただのワガママな案件である。

そうなると、
決して容量の多くない脳みそをフル回転させて、
負のループ中の私は、余計に負の答えが増えてしまう結果だ。

会いにいくしかない、という対処法を削除して、
違う方法を考えなければならない。

ひとつに、
会いたい、と思うほどの人間関係を築かない。

もうひとつに、
会いたいと思わないくらい、その他の業務で忙しくなることだ。


なぜ、会えないのか。を問いてしまうと余計に迷惑がかかるのだから。





会いたい、と思うのは
いつか別れがくるかもしれない ことに対する不安への執着からだ。と、
気づいたのはまだ暑い日が続く前だった。

会いたいのに、会えない人が存在するという
幼少期からの記憶や感情が邪魔をする。といことも大きいように思う。

しかし、それは自分で選択した結果で得た訳ではないから
寂しさ故の責任転嫁でしかない。

別れがくるのは突然である。
まったく準備していない間に、いや、そもそも
別れに対して準備することなんてない。別れたくないのだから。

という訳のわからない思考を巡らせながら、
暑い夏が来ようとしていた。




家族と離れた遠い町や遠い国で頑張るあの人のように私もなりたい。
それくらい、強い意志や守るべきものを守るように。

が、意訳です。


もちろん、家族や好きな人たちとの時間を大切にしたい。


人間って難しい。むず痒い。



負の連鎖は、夏に溶かしてもらいたい。




余談ですけど、

複数の場で他人の悪口だったり、嫌味でストレスを発散する人が苦手すぎる。





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