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石橋を叩かずに渡ってみたい

”石橋を叩いて渡る”

よく耳にするこの諺。
皆さんもご存じの通り、意味は「用心に用心を重ねる」「物事を慎重に進める」という意味です。

壊れるはずのない強固な石の橋を、一応叩いて安全性を確かめてから
渡る事から、この諺が出来たそうです。

皆さんは当てはまりますか?

私は痛いほど、この諺が当てはまる人です。
むしろ叩いても渡らない、いや、叩く事すらせず橋を渡る事を諦めてしまうタイプかもしれません。

そうやって、人生の中で、「こうした方がいいのではないか」
「やってみたい」そんな気持ちがあったとしても、
いつも見知らぬふりをしてしまってきた事がたくさんあったように感じます。

なぜなのでしょうか?

ここ1年間、ひたすら自分と向き合って考えた結果は、

「自分に自信がないから。」

結局はここにたどり着く事が分かりました。
失敗するのが怖い、という気持ちがある事は確かですが、
失敗する事自体が怖いのではなく、失敗した姿の自分を見るのが怖いから。
受け止めてあげるだけの自信と余裕がないから。
それくらい、「自分」という存在を自分が愛せていないのだ、と知るようになりました。

それが解けた時、自分の中にある黒い何かがすーっと消えていく感じと、
ずっと絡まっていた細い糸が、すーっと解けていく感じがありました。

◇◇◇

日本人は「自分に自信がない」国だとよく言われています。

私もそれは大学時代に何ヵ国か語学研修で外国に行ったときに
痛切に感じました。
(授業中に、先生に「Don't be afraid!(恐れないで)」と何度言われた事か・・・・(苦笑))

外国にいるとき、自分が細いか太いか、可愛いか可愛くないか、おしゃれかそうではないか、そんな事を一切気にせず過ごしていた気がします。

そして日本に帰ってきたときにカルチャーショックを受けたのは、
新幹線の中で大きなキャリーケースを上にあげられず困っていた時、
日本でありながら、助けてくれたのは外国人でした。
(自分も逆の立場だったら助けていないだろうなと思います。)

日本は優しい国だなんて言われるけど、本当にそうなのだろうか。
頼まれたらやるけれど、自ら誰かを助けようと思う人はそんなに多くないのではないだろうか。
人と比較ばかりし、妬み嫉妬の対象とし、他人に関心のない民族なのではないか、と感じるようになりました。

その根底にあるのは、やはり、自分自身の存在に対する価値を失っている事からくるのだろうと思います。何か能力や技術から来るものではなく、「私が私である価値」です。
自分の価値が分からない人が、どうして相手の価値を分かる事ができるでしょうか。
自分の船が溺れかけているのに、どうやって相手を救う事ができるでしょうか。

日本に根深く存在するこの問題は、思った以上に深刻だと思いました。

自らの意志で生まれてくる人もいなければ、

自らの意志で環境を選んだ人もいないのです。

花も自然も動物も、ちゃんと調和を成して存在しているのに、
それなのに人間は、どうしてこうも比べたがるのでしょうか?
(世界に一つだけの花 ふうに・・・)

子育てカウンセラー心療内科医の明橋 大二さんは、著書の中で
「3歳までは、”自分は大切にされている”という気持ちを育む大切な時期」
だと言っています。そしてその「心の土台」があってこそ、次に「しつけ」や「勉強」が可能になる、と。

大人になってしまった私たちでも、「自分を受け入れてくれる」「認めてくれる」そんな環境があれば、その土台は少しでも修復可能なのではないかと思います。

それに気づいた1人1人から、その環境を作っていく事ができれば、
日本ももう少し温かい民族になっていけるのではないかと思います。

まずは、自分がその土台をしっかりと立て直し、
挑戦していけるように頑張りたいと思います。







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