「人生100年時代」の残酷な現実
「人生100年時代」と言われて久しい。
昭和あるいは、平成の初期〜中期までは、人生とはもっとシンプルなものだった。
ライフステージは「教育」→「労働」→「引退」からなる、わかりやすい構成をしていた。
それが100年時代には、マルチステージなものへと変更されていく。
人々は、人生の節目に応じて、「教育」や「労働」の過程を行き来する。
これからの時代、これがキャリアコースの定番になってくるという。
しかし、現実はどうであろうか。
企業は、採用の際に「35歳以下」などの上限を設けたりしている。
こと日本においては、「年齢」というもので、人々は明確に区別されている。
しかしそうだとしたのなら、非常に皮肉な事態ではないか。
これだけ世の中では、「人生100年時代」と言われているにも関わらず、人生の方向性は、20代後半にはだいたい決まってしまう。
例えば、20代後半でその人が無業者であるとしたら、人々からその人は「失敗者」の烙印を貼られるであろう。
しかし、これだけ人生が長くなっているのに、その勝負が、競馬で言えば第一コーナーにさしかかるか、さしかからないかのところで決まってしまうのは、はたして望ましいことなのだろう。
やる気を持った人、人生を立て直したいと思った人が、その年齢如何に関わらず、その志次第でいくらでも人生をやり直すことができる。
そんな世の中の方が、今のギスギスした日本の状況より、はるかに空気が澄んでいると思うのであるが。