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立憲民主党の課題 ~ 2021 衆議院選挙の結果を受けて No.3

3. 有権者とのコミュニケーション不全

1. 政策の重点がずれている。 正しさには投票しない
2. 陥った批判の罠 - 批判で被統治側の印象が定着した

4. 支持者組織化の戦略の欠如
5. こたつぬこ、田中信一郎教授の客観視を
6. 分配と支え合いは政治課題の一部でしかない
7. 構造的政策の必要性
8. 経済政策、産業政策、科学技術政策、他
9. 明るさと、多少の和風イメージの必要性
10. 日本リベラル固有の問題
11. 日本人の問題

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 選挙結果が出た機会に、立憲民主党支持者としての立場から、今の立憲民主党の課題について、まとめました。基本的に上記のような項目から成り、こちらは、第三項目め「有権者とのコミュニケーション不全」です。4項目め以降は、追って公表します。第一項目目「1. 政策の重点がずれている。 正しさには投票しない」、第二項目目「2. 陥った批判の罠 - 批判で被統治側の印象が定着した」はクリックで飛びます。

 選挙についての総括は、第一項目目の冒頭を参照ください。

 以下、本文になります。

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 3. 有権者とのコミュニケーション不全

 私が思うに、2017年の結党後の衆議院議員選挙以降、立憲民主党は有権者とのコミュニケーションが、明らかにあまりうまくいっていません。枝野代表、福山幹事長、蓮舫副代表、を、傲慢とか怖いとかきつい、というイメージで捉えている人が少なくないように思います。具体的に言えば、有権者の中に、立憲民主党の、枝野代表は思い上がり、とりつくしまがない、福山幹事長は攻撃的、蓮舫副代表はややきつい感じ、というようなとらえ方をしている人が結構いる、ということです。これは、あくまでそうしたイメージで捉えている人がいる、ということであって、実際にそうだ、ということではありません。長妻副代表や、以前国民民主党の一部との合併前に政調会長だった逢坂誠二も、あまりあけっぴろげな感じの性格には見えないタイプではないかと思います。立憲民主党には、「なじみ」を感じさせる政治家が、一般国民に知られている中にはいない、という感じになっています。有権者との感情交流が薄い、という感じなのです。 辻本副代表が唯一、と言ってもいいほど、あけっぴろげな、親しみ感のあるキャラクターですが、同時に少し常に、計算ができる、という感じもあって、多くの国民の親しみ感という点で、まだいま一つでもありそうです。

 私が前段落で書いた「コミュニケーション」の意味は、この人とは気持ち的につながれるな、というような有権者側の印象のことです。この点に関しては、特に、枝野代表と福山幹事長、この二人の問題は大きかったように思います。私は、枝野代表のことは、困難な状況で立憲民主党を結党した事、その後、大手メディアからを中心とした、無原則に大きな塊を作れ、という大きな圧力に抗して、著しく辛抱強く忍耐しつつ、リベラル軸のはっきりした党を作り上げた事、つまり党が、民主党時代に陥っていた、保守系とリベラル系議員との間の綱引きで、身動きが取れなくなっていた党にまたなってしまうことを防いだこと、そして野党共闘についても、これも各方面からの数多くの反対に抗して、連合、社民党、れいわ、なども含め、大きな塊を作り上げた事など、ひじょうに困難なことを成し遂げたのは、たいへんな功績であり、優れた政治家だと思っています。

 一方で、枝野代表の有権者とのコミュニケーションは悪い、というのは、それとは全く別の話で事実だと思います。コミュニケーションが悪い、ということは、あるいは逆に考えれば、他人の考えに対して心理的防御壁がある、という枝野代表の性格的な特質が、強い批判の中で、様々な声に惑わされず、明確で理性的な行動が取れた理由の一つなのかもしれません。しかし、いずれにしても、私が見るに、枝野代表は、一般有権者とのコミュニケーションが、ひいき目に言ってもあまり上手ではない、改善の余地がひじょうに大きい、と見えます。

 党代表としての重圧のためかもしれませんが、枝野代表は、メディアに登場する際の表情が明らかに硬すぎます。「挑戦的」に感じさせるのです。顔がほとんど笑っていない印象です。特によくないのが、表情が記者やインタビュアーを敵視しているかのような見え方である時が多い事です。正直のところ、私が思うに、日本の大手メディアの記者やインタビュアーは、一般国民の平均と比べても、むしろ、頭がよりステレオタイプで硬直的に思われ、そんなガチガチの頭で立憲民主党に批判的だったり馬鹿にしたりしている人も少なくないように感じる彼らを前に身構えるのも理解できるところです。しかし、例えばカメラの前で、記者やインタビュアーを敵視したかのように受け取られかねない表情や、まるで説教でもしているかのような話し方をすれば、それは即、視聴者に対して、視聴者自身を敵対視していたり、視聴者に説教をしているかのような印象を与えることになってしまいます。視聴者はカメラに映った代表の顔だけで、代表に接するわけですから。国民は、政治について、たいしてはっきりした考えはもっていない人が大多数でないかと思います。その時に、自分がよく分からない事について、極めて断定的な口調で、しかも挑戦的な、あるいは自分の事を敵対視しているかのごとくの顔の表情で、説教とも受け取られかねない口調で言われたら、まるで自分を否定されたかのような無意識の反感を枝野代表に対して生み出されてしまうかもしれません。テレビを見ている視聴者、有権者が政治や個別の問題について「あまりはっきりした考えはない」くらいの人であれば、まだよいですが、今の語られている話題については、ちょっと自分の考えと違うんではないか、枝野代表の話は自分の考えと違う、と感じていた視聴者の場合、挑戦的に馬鹿にしている、とも取られかねない表情で言葉少なく断言されたり、説教ともとられかねない口調で言われたら、立憲民主党に少し距離があった、くらいの有権者が、枝野さんは嫌い、立憲民主党も嫌い、となってしまう可能性があります。実際そうした人は、国民の10%とか10数%とか、かなりいたように思います。その人たちは、友だちとか知り合いに対しても、枝野代表や立憲民主党についていろいろ話すでしょう。全体として、立憲民主党の支持へのロスは、かなりなものになっている可能性があると思います。
 
 また別のこととして、言葉の発し方、という問題もあります。これは、技術的な問題、とも言えますが、枝野代表の話し方は、言葉が分節化していなくて、また「ため」がない、という欠点があります。私が考えるに、枝野代表の話し方は、国会議員の話としては、かなり分かりにくいほうに入ると思います。私は、安倍元首相は嫌いですし、話は「空洞」というか、中身や実質のないものが多かったと思います。その上でですが、安倍元首相が聞く人に、自分の話を聞かせる力は、いわば敵ながらも、現役国会議員の中では、かなり飛びぬけて優れていたと思います。話に中身がないとしても、「今言った話を全く同じように復唱しろ」と言われたら、ひじょうに簡単に復唱できる様な、言葉の(あくまで音としてのですが)明瞭度の高い話し方をしていたのです。意味の区切れ区切れや、単語ごとに、音がはっきりと分かれていました。「ため」があり、そのために聞く方は、今、何の音が発せられ、言葉としての意味は何かを、一区切りごとに、頭の中で情報処理する時間が十分にありました。そうした十分な時間が経ってから、次に発せられる音が聞けました。だから、安倍首相が今、何という言葉を言ったか、と問われたら、たった今話された言葉を、その通りにオウム返しに言うことができた、という感じです。ですから、話した内容にいくら中身がないとはいえ、聞き手が安倍首相の話を信じる限りは、その話を納得して「記憶することができる」、このようになっていたと思います。
 
 一方、枝野代表の場合には、そうではありません。枝野代表は、話す時に、一気呵成に、ダダッと区切りなく、「ため」がなく、階段から落ちる様に話す癖がありました。言葉や句が分節化されていない感じです。言葉や、意味ブロック相互の間に、適切な「間」がありません。だから、直前に言われた言葉や意味をはっきりキャッチして頭の中で処理、咀嚼する暇がありません。なんとなく、ダダッと、言いたいことを話していた、という印象だけが残りがち、だったように思います。政治の話は、多くは、一般の人にとって必ずしも理解が簡単なものではありません。そんな難しい話であるのに、「間」がなければ、一区切りごとに、今何の単語が言われたのか、意味の区切りごとに、今話された言葉は何なのか、を頭の中で情報処理して、意味レベルで認知、検討する時間がありません。こうした話し方は、一つには、一方的に話している、というマイナスのイメージを生み出すものですし、他方では、今、何が言われたのか十分に理解されない、あるいは聞いた人の記憶に残らない、ということになります。それで、さらに表情が挑戦的に見える表情で話されるので、理解出来なかった話の内容ではなく、なんとなく自分との、サブリミナルな対立観だけが潜在意識的に記憶され、ぼんやりと忌避感が高まってしまう、ということもあったように思います。もちろん、立憲の政策や国会での努力自体はよいもので、枝野代表自身も真面目な人ですが、支持者以外の聞き手の印象だけについて言えば、そうではない場合も多く、これが選挙の時に数パーセントとか十パーセントとか、選挙結果に効いてくるくらいは、恐らくあったように思います。

 私が思いますに、笑顔が少ないとか、話し方に柔和さがないとか、話し方が分節化されてない、などの点は、単に私個人の個性に関わる感想ではなく、放送局でアナウンサーをしていたような、人前で話をすることが職業である人たちが見たら、ほぼ一致して、指摘されるような普遍性のある「話し方」の上の問題であったように思います。このように、枝野代表の話し方は、明かによくなかったのですから、元アナウンサーやテレビ出演者出身の議員も多い立憲民主党では、アナウンサーのツテをたどって、しゃべりが専門のアナウンサーから、専門にコーチングを受ければ、よかったのに、とずっと思っていました。私は絶対に思いますが、枝野代表のテレビの前での話し方は、アナウンサーなど専門家の目から見れば、改善点は一致して指摘される、あるいは指摘ができるものであったと思います。

 枝野代表自身は、演説にも、自分の話にも声にも自信があるように感じています。しかし、実際には上で書きましたように、そうでもないです。これは誰か、代表に言ってあげられなかったのか、と強く思います。国会の質問なども、論理的にはひじょうにしっかりしていたと思いますが、その割に不発、というか大きな話題になることが少なかったように思います。それは、この話し方の上の技術的な問題が大きかったのではないか、と思います。プロのアナウンサー等であれば、だれでも、簡単に大きく改善する方法をアドバイスできたような欠点であったと感じるだけに、この点ひじょうに残念です。

 枝野代表は、演説に関しても、駅頭の演説を聞いたことがありますが、そんなに上手なほうではありません。これは半分余談のようになりますが、自分の言いたいことを言っている感じで、聞いている人が、細かい点まで言えば、「自分と違う考えの人がほとんどだろう」、という意識を強く持って話している、という感じをあまり受けません。言ってみて、相手がどう反応する、理解するかは相手次第、というような感じが薄いです。「そうじゃないですか、みなさん」、というような話し方が多い感じで、これだと聞き手はずっと枝野代表の考え方に追従(ついじゅう)していかなければなりません。これだと疲れます。相手に心理的余裕を与えていないので、虚心に聞いてもらえない、ということになりがちだと思います。

 また、私は若い頃、当時の枝野幸男が選挙区で開いていた対話集会のようなものに行って、質問で何か話したことがあります。提案も含んでいて、その時この人(枝野)が、その提案はとてもいい、のようなことをしばらく話していたことがありました。聞いてもらえた、と思ってうれしかったのですが、帰る時、出口で枝野議員が、挨拶をしながら、参加者と握手をしていて、私も握手をして帰りました。その時、あのように話していたので、握手する時に何か言うかな、と思ったのですが、実際には普通に握手したものの、お辞儀するばかりで私と目を合わせることもなかった感じでした。バリア的なものを感じて、ちょっとがっかりしたことがあります。その時、私は、自分が小沢一郎と近いと勘ぐられたとか、何かそういうことでそうなったのか、とも思ったのですが、いずれにしても、防衛的な感じの強い、積極的なempathy(共感性の表現)は少ない人だな、という感じを持ちました。

 いま挙げたのは単に私個人の体験で、本当に単に一例でしかありません。特にそれが私の枝野感に大きく影響している、ということではありません。そういうことではなく、これを単なる一例として、他のメディアを通じた沢山の接触から、積極的に幅広く多くの人と感情的に交換しようという気持ちは比較的少ない、硬いタイプの人だな、という感じをもっています。他の人がどのような思考の枠組みで、どのような感情や心理状態にあるかを推測して、それに対して積極的に感情的交流をはかって、柔軟に表現を変える、ということがあまり上手ではない感じがあります。

 以上は、枝野代表についての話ですが、福山幹事長についても、いつも詰問調で嫌いだ、という感想は知り合いから聞いたことがあります。同様に感じている人も多いと思います。私自身は福山幹事長の印象はよいわけですが、特に福山さんをよく知っているわけでもない、立憲民主党に特に思い入れもない人であれば、そうも思われないケースが結構あるように思われる、という話です。蓮舫副代表も、直近二回の参院選では、二回とも百万票以上の得票数があり、人気も高い、つまり好感度が高いのだと思いますが、それでも私の知り合いから、「余裕がない感じ」、つまりキリキリした感じと言い換えられると思いますが、そういうイメージも一部の人には与えているようです。その他、たいへん致し方ないことですが、立憲民主党議員は、たいていの場合、政府を追及している姿を報道される事が多いため、「きつい」あるいは「攻撃的」という印象を受けやすく、不利な立場に立っている面があり、立憲民主党としては、これを十分に意識して、対策を立てて実行する必要があると思います。

 以上は、メディアに露出した時の印象が悪い、あるいは、うまく伝えられていない、という話でした。

 さて、次は、国民や有権者の声や考え、あるいは立憲民主党に対する見方を、党がよく把握できていない、という話です。

 これは、コロナについて日本政府がほんの少ししかPCR検査をしなかったため、感染状況をよく把握しておらず、有効な対策が打てなかった、というのとよく似たような話のようにも思われます。状況を正確に把握できていないから、打ち出すものの効果が十分にでない、とも言い換えられます。

 第一項目目の「政策の重点がズレている」、で取り上げた、2021年9月7日に立憲民主党が発表した、#政権取ってこれをやる vol.1、のチラシを再び取り上げます。既に記載したものと重複になってしまいますが、読者の方がページを戻して確認する手間を省くため、以下、もう一度掲載したいと思います。

1. 補正予算の編成(新型コロナ緊急対策・少なくとも30兆円)
2. 新型コロナ対策司令塔の設置
3. 2022年度予算編成の見直し
4. 日本学術会議人事で任命拒否された6名の任命
5. スリランカ人ウィシュマさん死亡事案における監視カメラ映像ならびに関係資料の公開
6. 「赤木ファイル」関連文書の開示
7. 森友・加計・「桜」問題真相解明チームの設置

 先にもお話ししましたように、これは、恐らく選挙が近くなって最初に発表された、有権者からは「公約」と理解して受け止められたかもしれない、政権交代が成った場合に、「政権発足後、初閣議で直ちに決定する事項」のリストです。立憲民主党としては、これから発表する10以上のリストのうち、公約というより、政権奪取した場合に最初の閣議で、これだけのはっきりした成果を出しますよ、我々は自民党とは違いますよ、ということを有権者に伝えるための、ほんのさわりのメッセージ、というつもりだったのだろうと思います。しかし、大部分の有権者はそんな込み入った党側の論理は理解できず、「これが立憲民主党の主要公約である」と思った人が相当いた、というのが、残念ですが、事実だったと思います。

 私は、政治に関する見方は、かなり立憲民主党寄りなところも多いと思われる人たちから、コロナでみんながたいへんな時にあんなものを出して馬鹿じゃないの、とでもいうような、かなり嘲笑的なコメントを聞いたことがあります。なお、これらの人は立憲民主党の支持者ではありません。無党派層、といえる人たちです。もちろん、この人たちは、このリストを立憲民主党の中核的な公約のようなものと受け取っていたと思いますが、そういうことを言う人たちは注意力がない(誤認している)、などと有権者について言ってみても、せんのないことです。ゴリゴリの与党支持者ではなく、うまくすれば、味方に引き入れられたかもしれない人たちから、このようにあきらかに馬鹿にされるような広報をしてしまうということは、大きな失策だったと思います。私も、これを見た時、これはひじょうにまずい、と思いました。

 それで、なぜこのようなことが起こるのか、と考えて見るに、少なくとも、このチラシを決めるに当たって決定権があった人たちが、平均的な有権者について、よく理解していなかった、というところから来ているように思います。これは、おそらく、付き合いがない、接触が少ない、のが主要な理由だとしか考えられません。もし、接触があれば、虚心に聞けば、あのようなリストが多くの国民からどう受け止められるかは、すぐに分かっただろうと思います。失望のようなものは、私の知り合いの例の様に、見逃し様のないほどハッキリ表現された、と思われるからです。

 これは、ですから、立憲民主党が、いまのところ、下部組織がしっかりしておらず、あまり政治に強い関心のない、収入や属性においてたいして大きな特徴のないような国民と、自然な形で接触する機会があまりないのではないか、と感じさせます。同時にまた、積極的にそのような国民の意見を吸い上げるシステムを持っていないのではないか、という事も感じさせます。「立憲民主党候補の選挙ボランティアをして感じたこと」というブログを書いている人がいます。このブログ記事は、ツイッターでも@_0ranssi_、という人から「超絶良記事だった。論点が複数あり、どれもとても大事」と評されていて、そのツイートには、2千近くもイイねがついています。その記事には、以下の下りがあります。
『システムとは、国民が自分の意見を国政に反映するための組織体制、仕組みだ。そういう意味では、日本中から批判にさらされた自民党の二階元幹事長の構築した「陳情」という仕組みは、日本の国政史上かなり高いレベルで有権者(一部の、だが)の利益を実現する仕組みだったかもしれないと感じつつある。(具体的な検証はしていないので、誤りかもしれない)』

 自民党の陳情が、この下りにある通りなのかよく分かりませんが、もしあれば、模倣の可能性を探る意味で、よく研究してみていいものだと思います。

 また、仮に実際の接触はなくても、ツイッター、facebook、また、私はよく知りませんけれども、インスタグラムなどでも、所謂ノイジーマイノリティーをうまく避けて、上記のような政治的な意見がふわっとしている人たちの生活上の皮膚感覚のようなものを掬い上げることは、慎重に熱心にやれば、かなりの範囲でできる様にも思います。特に自分の党について謙虚でなくとも、自らが出したメッセージに対して、あまりにも強い忌避感情に、あちらでもこちらでも遭えば、これはまずい、と自然に軌道修正が図られたものと思います。

 以上、まとめると、立憲民主党は、所属議員のメディア露出の際に国民に与えるイメージや、国民とのコミュニケーションの質、技術的な側面について、第三者からも交え、客観的に評価、分析し、欠点を改善し、質を向上させる必要があります。評価してもらう際は、「ためにされる」可能性のある政治的意見の強い評論家のよう人たちからでなく、アナウンサーや、企業の広報担当者、広報について研究する学者、市井の無党派の人たち、からがよいと思います。これはアンケートなどではなく、対面で詳しく話を聞いたほうがよいと思います。機器を使って反応を見るような科学的なアプローチも併用してよいと思います。

 さらに、地方組織を通じて、国民の声を吸い上げるシステム、話を聞くシステムを作り上げる事。スマホアプリや、ネットなどを通じて、国民が気軽に意見や感想を言えるシステムを作る事、などが必要と思われます。また、被検者という協力者と守秘義務契約を交わした上で、立憲民主党や、立憲の政策に対する考え、立憲とは関係なく、各政治課題についての考え、他党についての印象、自身の生活で政治に求める物などについて、いろいろ質問したり、自由に語ってもらって、立憲民主党の執行部が直接、あるいは別室で聞く、というようなこともやってみてよいと思います。私は日本企業の状況はよく知りませんが、海外の企業で、自社製品についてそうやって消費者の希望や、不満、ニーズなどを調査しているところはかなりあるように思います。直接の聞き取りです。アンケートのパーセンテージででるExcel表に纏められるような調査は重要ですが、直接に話を聞くことには、そうした間接的データ調査では得られない、肉感と直観を得る事ができ、政治活動に欠かせないものと思います。支持者や、反対者の声ばかり聞いていると、本当の世の中の姿が分からなくなってしまいます。支持者の声も、反対者の声も、共に大きな偏りがあるからです。

 国民とのコミュニケーションの質、技術的な側面の改善と、立憲民主党とその政策への好悪、評価も含め、国民の声をまんべんなく、幅広く掬い取り、拾い上げる方法の開発の重要性について、私の考えるところをお話ししました。

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