【短編小説】ノートの1ページ目を汚い字で書いた
ノートの1ページ目を汚い字で書いた。シャーペンの音が耳障りに聞こえる。何も悪いことはしていないのに気分が悪い。丁寧な字で書き直した方が良いとわかっているのに、雑に書き進めることがやめられなかった。
夜の12時を過ぎていた。自分の部屋がない僕は、静かなリビングで一人、課題に取り組んでいた。本当は、今頃布団に入って寝ているはずだった。
しかし、今の時間までYouTubeに夢中になっていた。動画のキリが良いところで、あくびをしながら、ふと我に返った時、課題があったことを思い出す。気づいた瞬間、カッと体が熱くなった。
やばい。何で、こんなにダラダラしていたんだ。課題、早く終わらせないと。あー、自分が本当にムカつく。
眠気が一気に覚めて、変な汗が出た。
課題の内容は、自主学習ノートを2ページ埋めることだった。教科の指定はないから、習った漢字をひたすらノートに書き写すことにした。選んだ理由は数学などの頭を使う教科よりも楽だと思ったからだ。
前のノートはちょうど昨日で使い切った。今日から新しいノートに書くことになる。
最初のページだから丁寧に書きたかったけど時間がない。課題を早く終わらせて、できるだけ多くの睡眠時間を確保したかった。同じ漢字を一心不乱に書いていると、自分が今、何をしているのかわからなくなった。
急に泣きたい気持ちになる。完全に僕が悪いのに、先生が憎くて仕方なくなる。学校という仕組みを考えた人に酷い言葉を浴びせたくなる。
何故、学校で毎日勉強をしているのに、家に帰ってきてまで課題を解かなければならないんだろう。完全な自由時間でいいのではないか。YouTubeをダラダラ見る時間にあててもいいのではないか。
恋愛でいうと恋人がする束縛というやつではないだろうか。あまりにも決め事が多いと相手に嫌気が差す。恋人がいる人なら彼氏彼女に不満を言えるけど、僕は誰にも何も言えない。今日の課題を決めた先生や、学校という仕組みを考えた名前も顔もわからない人に、心の中で不満をぶつけるしかない。
お母さん、お父さん、弟の太一は今頃、部屋で寝ているだろう。何で大人は課題がないんだ。仕事をし始めたら、課題から解放されるシステムはずるい。仕事の課題がないのは不公平だ。
家の前を、一台の車が乱暴に通る音がした。壁から「トッ」と木の軋む音がした。呼び起こされるように冷蔵庫の起動音も低く鳴った。何もかも僕への当てつけのように思えた。
しかし、今日は自主学習ノートがすぐに2ページ埋まりそうだった。いつもはダラダラと課題に取り組んでいるけど、今日は早く寝たいという目的と、少しの緊張感があるからだろう。
ユーチューバーはいいな。課題に悩むこともなく、楽しそうに動画を撮っているだけで、お金を稼ぐことができるから。だけど、顔が割れているから、外を歩けば周りの人にバレてしまう。プライベートがなくなるのは嫌だなぁ。
自主学習ノートに「華」という漢字を書く。好きな女子の名前の一部だったからドキッとした。岩本さんは今頃、寝ているだろうか。真面目だから課題も溜め込むことなく、家に帰って、すぐに終わらせているんだろうなぁ。
文字をひたすら書いていると、自分が今、何しているのかわからなくなる。頭では別のことを考えていても手は勝手に動く。なんか楽しくなってきた。深夜テンションというやつだろうか。
友達の力也は、長距離を走っている時、ハイになれると言っていた。どこまでも走っていけそうな気持ちになるのだと。
その気持ちが、少しだけわかった気がした。ひたすら書けるところまで書こう。僕は左手で下唇を触った。
目の前のことに集中してたら、いつの間にか2ページの最後の行に辿り着いていた。時計を見ると12時30分だった。
一生終わらないんじゃないかとか焦っていた時、確かに体は熱かった。今、背中を直に触ってみると何も感じなくて、自分が自分じゃないみたいに思えた。
終わってみると、何だ、怖いものなんて何もないと笑いたくなる。
僕は冷蔵庫に向かい、ペットボトルに入った飲みかけのコーラを取り出した。口をつけて、一気に飲み干す。美味しい。
ゴミの分別まで頭が回らず、ペットボトルを燃えるゴミの袋に突っ込んだ。余韻に浸ることなく、リビングの電気を消して、2階に向かう。歯磨きはしない。何かに反抗したくて仕方なかった。
弟の太一は口を開けて、幸せそうに眠っていた。僕は隣の布団に入り、さっさと目を閉じる。
眠りにつく直前、コーラにはカフェインが入っていて、飲むと眠りにくくなると誰かが言っていたのを思い出した。
今、普通に眠い。嘘じゃんと思いながら、何も考えられなくなった。次に見たのは、岩本さんが僕の隣の席に座っている光景だった。長い髪を一つ結びにしていて、耳が出ている。ああ、かわいい。でも僕は怖気づいて何も行動に移せない。岩本さんはじれったそうに、真新しいノートを開いて、何かを書いていた。ガリガリと筆圧が強く、何故か僕みたいだと共感して嬉しくなった。
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