77メモリー

「皆さんも8月は、命や生きていることの大切さを考える、そんな月にしてみてください。」

NHKの音楽番組で、平和を願う曲を錚々たる歌手たちが唄っているなか、司会のウッチャンがそう言った。

77年前の8月6日、ヒロシマに原子爆弾が投下された。今は歴史になってしまった惨事。でも今も、被爆者たちはあの日と同じ空の下を生きている。

同年8月9日、ナガサキの空にも黒い雲と雨が。

1週間後の1945年8月15日、第二次世界大戦は終わった。

終戦、それはあくまでも誰も銃を握らなくてよくなった日。誰も爆弾を落とすためのボタンを押さなくてよくなった日。憎しみや哀しみが消えた日では、ない。



うちのばぁばは91歳になる。

1945年当時、まだ若者だった彼女もまた、機銃掃射に追いかけられ、見知らぬおじさんに防空壕へ引き摺りこまれて命拾いをしたそうだ。

8月になると彼女は、戦争にまつわる白黒の映像がテレビで流れているのを、よく観ている。ぼっーと、観ている。何を思っているのか尋ねたことはないが、時折鈍くなった目を長くつむったり、静かに頷いたりしている。その横顔を、やはり私もぼっーと眺めていることしかできないのだ。

2022年の夏、世界ではいまコロナウイルスと、ロシアのウクライナ侵攻による戦争で平和が失われている。

まだコロナに罹患したこともなく、ウクライナもロシアも私の生活からは遠く、それでも同い年の同じような格好をした子たちがiPhoneを握りしめて地下鉄で寝泊まりする様子を見るのは辛い。

「世界で苦しい思いをしている人がいるからと言って、自分が恵まれていることを悪いことのように思うのは良くない」というのは精神科の先生もよく言うことだ。

それでも私は、温かい彼の手を握りながら、平和のなかで生きていることを少し苦しく感じてしまう。戦地の空も、晴れているだろうか。病院にも向日葵は、咲いているだろうか。



「8月は命や平和を考える月に」

8月だけじゃない。幼い頃からずっと、命を大切にしなさい、と言われてきた。私が生まれた1994年の神戸の冬は、空が赤く燃えていた。自然災害がもたらす抗いようのない『生命の奪取』、それはたしかに恐ろしい。それでも地球に生きるかぎり逃れようのないことだと、理解できるだけまだ救われる。

戦争はどうだろう、救いようがない。

暑い暑い、と汗を流しながら、彼は私の手を握ることをやめない。暇さえあれば私の腕を絡めとって、ぴったりひっついて歩こうとするので、正直歩きにくいけれど愛しくて許してしまう。

どこかで平和を奪われる人がいて、同時にこうして幸せを噛み締める私がいる。ずっと長い歴史のなかで、同じことがあり続けてきたのだろう。

今年の夏は、やはりひときわ暑い。77年前も、暑い夏だったのだろうか。抜けるような水色の空に堂々たる入道雲が浮かんでいる。田舎ではアブラゼミの声よりもミンミンゼミの声が遥かに響く。また彼に片腕の自由を奪われながら、くっついた体の半面にじっとりと汗をかいて歩く。ありあまる幸せのなかに生きている今日、目をつぶって遠い昔を想う。


どうかもう、不要な哀しみを消してください。
いずれ皆、終わりを迎えるのだから。
正義の名のもとに、誰かの生命をおびやかさないでください。
どうせすぐに、後悔するのだから。


今ここに生きていること、家族ともども生かされていることに、感謝して。


2022.08.06
p.s. 淡路島へ行く。向日葵を見た。感染者数が増えてきている。彼の寝息を電話越しに聞きながら書く。

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