遊園地のような会社、原っぱのような会社。
青木淳さんという建築家の方がいらっしゃいます。
表参道やいくつかのルイ・ヴィトンの店舗、銀座並木通りの店舗外観などはほんとうに息をのむほどに印象的で、身近なところでは青森県立美術館を設計した方です。2004年に発刊した自身の建築思想を記した著書に、「原っぱと遊園地-建築にとってその場の質とは何か」があります。
その場所はどのような場所で、人々がどのように過ごすことができる建築物かという哲学は、そのまま組織の哲学に置き換えられる示唆があります。
建築哲学としての原っぱと遊園地
遊園地での主導権は、そこで遊ぶ人たちにありません。
遊園地の支配のもとでしか、遊ぶことはできません。
メリーゴーラウンドでは立ち上がらないように、観覧車では揺らさないように、ジェットコースターでは安全ベルトを締めてください。営業時間は9時から5時です。お金を払ってください、並んでください。
遊園地という場所は、あらかじめ遊び方のルールが決まっています。そこで過ごす人々がルールを守ってくれなければ死亡事故だって起きる可能性が出て来るし、運営も破綻してしまうかもしれません。
遊園地という空間には、そこで遊ぶ人たちに主導権がありません。もちろん遊園地を悪くいいたいわけではなくて、これは建築の話しで、建築家がその場所の歴史や人々の営みを変えてしまうことは蛮行だとしています。
だから建築は原っぱのほうが良いという、建築家がひとりで決めてしまうのではなくて、その場所の歴史や人々の営みによって補完される建築。
おなじ遊び場だったとしても、その場所に吹く風や咲く花に触れることができて、フリスビーをしたり、四葉のクローバーを探したり、読書をして過ごしたり、原っぱという遊び場はその場所のありさまを象徴し、その場所で過ごす人たちによって発見される。建築家はその人のエゴイズムではなく、歴史や人々の営みを再定義、あるいは新発見することが理想だということです。
組織哲学としての原っぱと遊園地
これはなぜだか、組織の話しのような気がします。
遊園地のような会社では、あらかじめ誰かが決めたルール、囲いのなかでしか仕事をすることができません。所謂ワンマン社長がいる会社というふうに考えれば、社長の限界が会社の限界。
原っぱのような会社であれば、その地域に寄り添った事業展開ができるし、在籍する人たちの自由な発想によって、新しいアイディアも生まれる。見える景色いっぱいに、無限の可能性が広がる地平線の景色を見ることができるでしょう。どこで何を発見するか、それでどのように遊ぶか、体験する時間は人々に蓄積となり、また新たな発見を繰り返すことになる。成長という。
私たちの会社は、そうありたいと思います。
遊び心をもって踏み出せば、広大な景色が広がっていることに気づくでしょう。
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