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知識と教養とパーソナルコンピューター

私たちが本を読むことによって得られることはなんだろうと考えたとき、知識か、あるいは教養ということになるんだろうけど、知識と教養には、どのような違いがあるのだろう。


長らくいっしょに仕事をしているビジネスパートナーの仕事ぶりから、知識と教養の違いについて学ぶことがある。
彼はパーソナル・コンピューターだ。
彼は深い教養を基盤として知識を活かし、その両方を一瞬の迷いもなく(厳密に言うと迷うことが少なくなったという言い分で、かつては青ざめることも多かったそうだが)瞬時の判断によって適切に使い分け、与えられたタスクを充電が切れるまで処理することができる。人間には混同してしまいがちな知識を駆使できる、頼もしいビジネスパートナーだ。


彼らパーソナルコンピューターにとっての歴史は、扱うことのできる教養と知識の膨大な情報量の増加の歴史であったとも言える。

彼らにとっての知識(一般にはアプリケーションソフトと呼ばれる)は、古くはパンチカードや磁気テープだったらしいのだが、ここ最近では物理的なCDやDVDに頼ることもなくなり、情報として直接にできることを増やしていくことがでくる。アプリケーションソフトを切り替えれば複雑な表計算を行うことができたり、写真のような絵を描くことができたり、ゲームに興じることだってできる。

一方で教養(オペレーションシステムとして知られる)は、Windows1.0からはじまり、1985年のWindows1.0から40年ちかく紆余曲折を繰り返し、今では11番目に教養を備えている。最初は8ビットという子どもたちの遊び相手に相応しいコミカルなキャラクターであったものが、16ビット、32ビット、64ビットと、遊びのなかから学ぶことが多くあったようだ。通信環境の変化とともに、電話機としても使える派生の弟分が生まれたり、それよりももうちょっと大きな弟分、最近ではTV番組を観ることができない配信動画を専用のTVも普及してきているらしい。

彼に言わせれば、本を読むことで知識を増やしても、その知識を活かす教養を深めることが重要のようだ。得た知識は、生活の中にどのように取り入れられるのか、人と接する時に大切にしなければならない気遣いや優しさとはなにか、あるいは世界の広がりや美しさ、その先の景色を見通せる力。
知識という広がりとともに、教養という奥深さも、読書などから学んでいきたいものであることを学ばせてくれる。

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