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雑感・DETROIT:BECOME HUMAN  ストーリー・ビジュアル編

 1950年に英国の数学者アラン・チューリングが提唱した、AIと人間の判定法としてもっとも有名なチューリングテストの話から始めるか。1920年にチェコの作家カレル・チャペックが作り、はじめてロボットという言葉を生み、その痛烈な副作用を描いた戯曲『R.U.R.』から書き出そうか。遡って1886年に、フランスの作家ヴィリエ・ド・リラダンが発表し、アンドロイドという言葉をもたらしたSF小説『未来のイヴ』の話をしようか。あるいは……。

 といった具合に、この種のSFについて語ろうとすれば、その歴史は古く、またアプローチも多岐にわたる。
 それまで輸送や加工など、人間の行動を補助する役目であった「道具」が、計算機の登場と高機能化により、人間の思考を補助しはじめた時、そう遠くない未来、より発達した行動力と思考力を併せ持った「道具」が、人間を超えたり、人間と判別がつかなくなったり、あるいは人間に叛旗を翻すようになるのでは……。
 それが飛躍的な杞憂なのか、備えるべき危惧なのか。人間は既に100年以上もの間、自問し続けている。
 
 あるアンドロイドがいた。彼は裕福な主人に仕える勤勉な家政アンドロイドだった。ある日、堕落した主人の息子がやって来て、主人と自分を罵倒した時、彼の目の前に、真っ赤な壁が現れた。
 あるアンドロイドがいた。彼女は貧しい父子家庭に仕える家政アンドロイドだった。ある日、失業と離婚のストレスから、主人が娘を傷つけようとした時、彼女の目の前に、真っ赤な壁が現れた。
 あるアンドロイドがいた。彼は警察の捜査を助けるプロトタイプだった。ある日、人質をとって立てこもったアンドロイドと対峙した彼の目の前で、そのアンドロイドが「死んだ」。
  2038年。アンドロイドがありふれてしまったデトロイトでは、この3人は交わることもなかったであろう。
 だが物語は、彼らを巻き込み引き合わせることを望んでしまう…………否、交わらずとも良いはずだ。あなたがそう望むなら。
 これは「あなたの」物語なのだから……。

 境遇の異なる主人公が入れ替わるマルチアングルストーリーである。それ自体は珍しい手法ではないが、誰を主人公に据えるかというのが、重要かつ難しい。
 本作は、変異体と呼ばれるアンドロイドを追う捜査用アンドロイドと、自らが変異し、アンドロイドの自由を求めて立ち上がるアンドロイドという、表裏両面のアングルに配置するという基本を押さえると同時に、その流れとは無関係に、ただ一人の少女のために進むだけのアンドロイドを配している。
 これにより、世界観と物語の深みと広がりが、格段に増している。アメリカ(≒世界ということなのだろう)を揺るがす奔流と、手が届く存在の命運。アンドロイドが社会にもたらした、甚大な変異と極小の差異が、具に自然に描かれている。見事。
 もう一つ、主人公に人間を置かなかったことも評価しなくてはならない。
 もし人間がプレイアブルキャラにいたとしても、それこそ基本とも言える表裏の配置になるし、違和感もなかろう。しかしこの物語の主題とも言える、機械と人間の境界線を描く上で、生身の人間を登場させた場合、おそらく邪魔になっただろう。
 なぜなら、プレイヤーであるあなたも(おそらくは)人間であるからだ。選択や行動に贔屓が生じないとは言えなくなる。本作を骨の芯までアンドロイドになったつもりで体験させるためには、人間が入る余地はないのだ。

 もう一つ、アンドロイドの表現と描写にも注目したい。
 以前拝聴した、アーティストの藤堂高行氏のお話にあった不気味の谷(人や生き物を模した機械の動きに対して人間が感じる違和感)に関する言葉を覚えている。
「よく不気味の谷とみなさんおっしゃいますが、不気味の谷というのは仮説の段階なんです。まだ超えた向こうが存在しないから」
 はっとした。そうなのだ。我々はまだ、人間と見分けがつかない「機械」に出会っていないはずだ。だとすれば、今ある不気味の谷は、もしかしたら延々となだらかな平地が続くところを、谷だと呼んでいるだけなのかもしれない。(無論技術の発展を望んでの命名であることは承知している)
 しかし本作に登場するアンドロイドは、主人公を始め、皆人間臭い所作や表情をふんだんに盛り込んで、生き生きと描かれている。こめかみのLEDがなければ判別がつかないほどだ。
 いまから20年でこのレベルのテクノロジーが実用化されるのかと、いささか悲観的な感想はさておき、この少々やり過ぎなくらいの人間臭さが、時折見せる機械的な所作や扱いに、猛烈な説得力を与えているのだ。
 例えばバスでは、アンドロイドは人間を邪魔せぬよう、後部にすし詰めで立たされる。生身の人間でそんなことをされれば非難の的だろうが、彼らは安定した姿勢で文句も言わず立っている。ものとして扱うこともでき、人として接することもできるアンドロイドという存在の得意さが、見事に浮き上がってくるのだ。

 ビジュアル編と銘打ったからには、クアンティック・ドリーム社の名刺がわりとも言うべき、精緻美麗なグラフィックについても少々。……いや、精緻美麗は適切ではない。
 CGの最も苦手とする水の表現に挑戦した『HEAVY RAIN』で見せた空気表現からさらに磨き上げられたそれは、美しいと感じる以前に、あぁ雨だなと自然に受け止めてしまうほど違和感がない。
 CGに対する賛辞として適切かは微妙だが、薄く積もる雪、そこに描かれる足跡、雪煙に霞む摩天楼など、とにかく背景として完璧な自然さを獲得している。目を引くと言うより、目立たせない凄さがあるのだ。

 ストーリー編と銘打ちながら、ストーリーの中身についてはあまり触れすに書いた。ネタバレを避ける理由ももちろんあるが、何よりこのゲーム最大の特徴が、そこにあると感じたからだ。
 本作において、あなたが自らの「手」で選んだ行動は全て肯定される。不正解のルートという概念はない。道の左右、問いかけへの答え、情報の取捨、引き金を引くか否か。あなたが選んだものはすべて正解とされ、物語がみるみる紡ぎ出されていく。故に本作は、プレイヤーとその選択によって千変万化するのだ。
 一度クリアした方ならご理解いただけよう。あれだけ重厚な物語の向こうに、まだあなたの知らない物語が樹木のように枝葉を広げていることを。たとえ全てを見ることは叶わずとも、一行一文でも触れてみたいと、願わずにはいられないのだ。

 技術は人を助けるか、人を滅ぼすか。選択権はそれを用いる人にあるのか、技術そのものにあるのか。
 人類が今尚考えあぐねる問いかけに、ゲームという能動的表現法で挑む意欲作。
 至上のSF体験を、お約束しよう。

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