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せんとうきろく

 渋谷の街はクリスマスに向けて徐々に様変わりし、きんと冷えたビル風が私の襟元を容赦なく撫でて……と書きかけてさっそく指が止まる。はて、あの日はそんなに寒かっただろうか。とんと記憶にない。

 今から15年前、2004年12月11日の午後7時。私はSHIBUYA TSUTAYAの前にいた。待ち合わせではない。これから待つためだった。翌日に迫ったソニー・コンピュータエンタテインメント(当時)初の携帯ゲーム機、プレイステーション・ポータブルの発売をだ。
 販売開始は翌朝の7時。今から12時間後だ。往来の邪魔にならぬよう隅にひそんだ……あたりまでは覚えている。その後どうであったかはとんと記憶にない。
 当時のネットニュースを検索してみる。そう、先頭に並んでいたこともあり、発売セレモニーで当時の久夛良木社長から手渡しでPSPを購入したため、断片的に私の記録が残っているのだ。
『会社から直行し、手袋などの防寒具を揃えて(笑)昨晩19時ぐらいから並び始めたという』
 と記事にある。思い出した。その日は殊更寒く、近くのコンビニで急ぎ買い揃えていたのだ。その後ただひたすら並んでいた。きんと冷えたビル風が私の襟元を容赦なく撫でていったであろう。

 待っていた時間の記憶は流石にない。次に思い出すのは、TSUTAYAの入り口を入って右手に設けられたステージに上がり、久夛良木社長からPSPを受け取るシーンだ。まさかこんなことになるとは……。
「楽しみにしてました。楽しませていただきます」
 そんな言葉を久夛良木さんに返したと思う。
 併せて買ったタイトルはなんだったか。リッジレーサーズは絶対買っているはずだ。みんゴルも買ったか。しこたま遊んだ記憶はある。

 7年後の2011年12月16日。私は渋谷のマクドナルドで、軽い夜食をとっていた。手元には誇らしく『1』の番号が書かれたカードがある。PSPの後継。PSVitaの発売が明日に迫っていた。
 前回、渋谷で1番に購入するという栄誉に浴した私は、今回も是非一番を狙いたいと息巻いた。今度は防寒対策も万全だ……と思う。
 今回は整理券方式になったそうで、しまった出遅れたかとあせったが、余裕の1番手であったらしい。
 集合時間になり、券を携え並ぶ。非常階段が解放されて並んだのはこのときだったか。先頭にいる私に「何時から並びました?」と尋ねるマスコミがちらほらいた気がする。
 またまた記憶が飛ぶ。カウントダウンイベントは入って正面のステージで行われた。もちろん今回も登壇することに。
 当時の記事を抜粋。
『ちなみに先頭に並んでいた男性は、前日の19時に渋谷に入っていたということで、並んだ時間は12時間。世界で初めてPS Vitaを購入した感想を聞かれると「緊張と寒さ、疲れ、眠気で頭が真っ白です」と、手にするまでの苦労がにじみ出る感想を述べた。ちなみに先頭の男性が購入したのはWi-Fiモデルと32GBのVita専用メモリーカード。ソフトは「みんなのGOLF6」「アンチャーテッド -地図なき冒険の始まり-」「真かまいたちの夜 11人目の訪問者」「RIDGE RACER」「マイケル・ジャクソン ザ・エクスペリエンスHD」の5タイトル。残念ながらこのあとはお仕事ということで、開封できるのは夜になってしまうとのこと。一番初めにどのタイトルから遊ぼうと思っているかも聞いてみたところ「まずは、PS Vitaがどんなハードなのか、ソフトを入れずにいろいろと弄ってみます」と、硬派な話を聞くことができた。』
 ううん、各ソフトメーカーに配慮したよいコメントをしたもんだ。偉いぞ俺。
 実際当時のSCEの会長と社長に挟まれて頭は吹っ飛んでいたはずだ。PSPも先頭で買ったというネタは披露していたか、記憶にない。

 とりとめのない記事になってしまった。とはいえPSについて記事を書こうとすれば際限なく書けてしまうし、だいたのゲームのことは皆書くだろうから、私にしか書けない記事を書いたつもりである。
 2004年の東京ゲームショウでPSPをはじめて見たとき、一瞬モックアップかと思った。その小さな画面に映る映像の美しさを、すぐに信じることができなかったからだ。そして触れてすぐに虜になった。と同時に、この製品が数ヶ月で手元に来ることが信じられなかった。その感覚は数年後、PSVRの体験会に参加した時にも感じることとなるのだが、ソニーは兎角我々を驚かせてくれる会社だ。
 と思っていたら、PS発売から四半世紀経っているということにさらに驚いた次第である。来年はPS5も出るそうな。さて、せんとうたいせいに移ろうか。

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