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雑観・鬼滅の刃 ヒノカミ血風譚

 ジンクスというものがある。主に悪い因縁めいた事柄に使われる。
 プロ野球の世界にも『メガネの捕手は大成しない』とか『甲子園で注目された投手はプロでスランプに陥る』といったものがあった。
 それらが過去のものであることは、野球にあまり詳しくない方でもおわかりかと思うし、そうさせた名選手の顔も浮かぶだろう。
 ゲームの世界にもいくつかあった。
『版権タイトルに名作なし』
 ゲームの表現力が、漫画やアニメのそれと比べるべくもなかった時代。ゲームにそれを押し込めようとしてやむ無く……あるいはもっと他の理由で、ゲームとしての面白さを削るか、元の作品から遠ざけるしかなかった作品が多かった。
 今日、ゲーム機の性能は飛躍的に伸び、映画に肉薄する表現力を獲得するや、そのジンクスも過去のものになった。
 であれば、ゲームがゲームとして版権タイトルに課すべき命題は何か?ここにひとつの答えを垣間見た。 

 原作は説明不要の超ヒット作。あらゆる記録を塗り替え続け、漫画大国の柱となった作品である。
 それがゲームになると知った時、一瞬ひやりとした。私自身、ジンクスの後遺症が残る世代だからだ。だが開発社名にその名を見た時、ほっと胸を撫で下ろした。

 ゲームとアニメの決定的違いは何か。言わずもがな、アニメは見るものでゲームはやるものだ。物語、演出、映像のそれぞれの要素の、主張すべき比率が明らかに変わってくる。ゲームのように能動性を求めてくるアニメはなかろうし、物語をただつらつら眺めるだけのゲームはビデオと変わりない。
 しかし物語を蔑ろにしては、原作ファンの不興を買うだろうし、少数ながらいるかもしれない、ゲームから入門する人を置いてけぼりにしかねない。
 ぼうっと眺める時間を削りつつ、物語をしかと見せる方法として、この会社は見事なメソッドを開発していた。

 プレイヤーを引き込むアクションと映像と演出に特化したパートを「幹」とし、その背景の物語を「枝」として棲み分け、相互に細やかな関係性を持たせることで、ゲームの楽しみも広げた。
 物語を読む枝を広げるためには、本編である幹の部分である程度のコレクションを集める必要がある。しかしゲームとして楽しみたいなら、そのまま幹を進めることも許容する。
 炭治郎を動かすゲームは魅力だけど、アクション苦手だと先に進めないのでは?と思う方もご安心を。物語の進行を優先させたい人には、バトルで負けても相手のHPはそのままに、バトルを継続させられる選択もできるのだ。
 NARUTOシリーズをはじめ多くの版権タイトル開発で培った、アクション派とストーリー派の両者を飽きさせない手法が、今回も遺憾なく発揮されている。

 もちろんその根幹にして華というべき映像と演出は、どこを切り取ってもアニメと遜色ない出来栄えであり、何なら自分の手で放たれる技と、それが炸裂したときの快感は、アニメでも漫画でも味わえない無二の体験だ。
 また対戦モードで使える衣装やステージ。IDカード(のようなもの)に使えるアニメの名カットや名セリフを数百点揃え、こちらのコレクト欲をくすぐってくるあたりも憎い。
 さらにアニメでも見せなかった演出や会話もふんだんに盛り込まれ、とっぷり鬼滅に浸かったというファンでも存分に楽しめることは請け合いである。

 なんだか手放しに褒めてばかりで決まりが悪いが、目立った短所がないので仕方がない。むしろ鬼滅ファンなれば、買って損はしないアイテムといっていいだろう。
 ジンクスを過去のものにした名ディベロッパーの放った一刀に、両手を広げて斬られた小生の、偽らざる所感である。

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