大人になったあとも友情は広がるのか

前回に引き続き、大人になってからも割と自由な暮らしをする、そんなテーマを続けていきます。

最初に結論から書くと、私は、大人になってからも友人は十分増えるものと考えています。

自分はもともと、恐らく ASD なのだと自分で思っていますが、そうにせよ違うにせよ、相当コミュニケーションが不得手な人間でした。

それでもなお、学部を卒業して相当経ってからも色々なかたにお会いでき、(改めて感謝をお伝えしたいところですが、) 良くしていただいています。

今回は、そういう自分の経験も交えながら、大人になっても友人が増える余地があるのかどうか。これを少し考えてみます。

単純なご興味や、「ふむ、役立つものがあるかも」という観点など、自由な読み方を楽しんで頂けたら嬉しいです。

都市に移り住むことの影

そもそも大人になって新しく人と知り合うことは必要なのでしょうか。

もちろん、"良い" か "悪い" かで言えば、良いことだと言えそうではありますが。

これに対しては、少なくとも都市部に転居する際は、必要性が高いものと推測しています。

あるいは都市部への転居に限らないかもしれませんが、松本康さんが『都市社会学・入門』で一部 矢部拓也さんを引きつつ説明しているのは、東京への転居した場合の友人数の少なさです。

東京でも名古屋でも、地元都市圏以外からの移住者は、地元都市圏出身者に比べて、都市圏内に親族、友人が少なく、都市圏外に多かった
東京についての矢部 (2004) の分析では、東京圏以外からの移住者は、都内居住年数が長くなっても、遠距離の親族関係と友人関係を維持しつづけており、東京圏に親族も友人も増やしていなかった

1998 年から 2005 年にかけて公表された成果ですが、もし今でもこの傾向が続いているとしたら。
東京への移住は近くに住む友人を減らすことになっていそうです。

また実際、かなり多くのかたがたが、東京への移住を経験されているのではないでしょうか。

遠くの友人がいるのと近くの友人がいるのとで、どちらが "いい" かということは言えませんが、しかしもし近くの友人を望むなら。

もしも東京、あるいはそうでなくても、何かしら知人を作りにくい土地へと転居するとき、何かしらの動きが必要そうです。

空気の合う場所について考える

東京は、あるいは地方で人口10万人を超える街は、案外、初めてでも気軽に人と話せるような場所や機会を持っているものです。

なので、私が思うに、人と知り合うことを諦めないでいると、それなりに関係が広がりやすいんじゃないか。
このように考えています。

その上で、興味にあう場に行くこと。
これもやはり関係を広げるのではないかと。

察するに、このとき、興味のある "モノゴト" に集中すると、それがよく機能するのではないかと予想しています。
理由は 3 つあります。

第一に、モノゴトそれ自体が面白いならば、もし人付き合いの意味で不発に終わったとしても、それが無駄な時間にはならないからです。

第二に、知り合うことを目的に知り合いに行くのは、一般に難しいものと考えられるからです。
考えてみれば学校のクラスとかも、知り合うこと自体が目的の制度ではないですよね。
また、もし他のかたが知人を増やしたがってなければ、自分だけが歩み寄っていく構図になってしまい、若干バランスが悪くなるおそれもあります。

第三に、共通のモノを好きになれるならば、空気やオーラの合う可能性が高いものと考えられるためです。
逆にいうと、知り合うこと自体を目的とした場というのは、一種のそういう空気をまとうものだと考えれば理解しやすいかもしれません。
もしその空気のほうが合いそうであれば、必ずしもモノゴトに集中しなくて良いかもしれませんね。

趣味の活動の探し方としては、ものによって SNS のほうが見つかる場合もあれば、ふつうの Web ページのほうが見つかる場合もあり、色々な探し方が有り得そうです。

最近ではオンラインでの会が多くありますから、参加の敷居は低くなっているかもしれませんね。

なお、個人の体験としては、趣味の文章をネットで書いてきた所、それがきっかけで多くのかたにオフ会でお会いできたことを書き添えておきます。
オフ会主催してくださったかたに負うところも大きいですけどね。
もしご覧になっていたらこちらも改めて感謝したいです。

あるいは、前提が覆りますが、今こそ遠くの友人とたくさん遊ぶというのも、時間を充実させるいい方法かもしれませんね。

このようにここまで、
・転居後の生活でも友人が増えうるのか、
・増えるとしたらどういう理由によるものか、
・増えなくても充実するパターンはどうか、
というのをいくつかを見てきました。

成功や失敗について考える

もうひとつ、人間関係の広がりに影響を与えるファクターがあるとしたら、
「どういう結果に終わったら困るのか」を考えること、これだと思います。

以下では、危ない何かに引っかからない自衛と、人には敬意と礼儀を持って振る舞うことを前提に、何が「成功だった」「失敗だった」かという考えを
少し問い直してみたいと思います。

仮にある場所へ参加してみて、そこでうまく馴染めなかったとき、自分の人生にどんなダメージが残るでしょうか。

これもかなり私の考えに偏っているので、違うと思ったらスルー頂きたいのですが。
もし何となくバツが悪かった、という事だけが起こるなら、その後の人生へのダメージは少ないものと思います。

ものすごく会費が高いというなら別ですが、金銭的なダメージがそれほど残るのでもないでしょう。

長く続けていきたかった関係が壊れるなら別ですが、新たにできた関係が続かないものだと分かったとしても、人間関係へのダメージは少ないでしょう。

ここで気になるのは場所への迷惑ですが、そうならないように最大限気をつけつつ、敬意と礼儀を持って接しているならそれを分かってもらえる可能性は高いと思います。
それに、コミュニティのほうも、そのような努力があるのであれば、バツが悪かったことをそれほど長い間は気にし続けはしないのではないでしょうか。

以上のことから、何かの場に顔を出すとき、「失敗」が起こることは少ないのではないか。
大人になってからでも気負わずに人付き合いをしていく方法があるとしたら、1 つにはこのように考えることかもしれないな、と思いました。

なお、場所にかかるお金については、自分の感覚としては、場所を詳しく探してみたり、ちょっと躊躇ってた場所も候補に入れたりすれば、廉価なモノが多く存在している気がします。

考えてみればそれもそのはずで、見つけやすいものや、参加の敷居が低いようにお膳立てされているものは、その分、商売の道具になりやすいですからね。

なお、「成功」を見直すことについてもちょっと考えてみましょう。

これは以下の「『さびしすぎ』ない日常への一歩」というイベントで伺った話ですが、必ずしも「友だち」という間柄を目指さなくても良い、という見方もできますね。

https://wezz-y.com/archives/72916

友だちというよりはもうちょっと独特な間柄とか、お互いにあまりコミットメントしあわない緩い間柄とか、そういうのもまたオツなのかもしれませんね。

行き詰まったときは

最後に、行き詰まったときのホケンとしてどういうものが有り得るかについても少し考えてみましょう。

イマイチ調子の出ないときの戦い方にどんなものがあるか、少し考えてみたいと思います。

なんというか、「服を買いに行く服がない」じゃないですけど、コミュニケーションの場に行くためのコミュニケーション能力がない、そういう考えが頭をよぎるような日もありうると思います (私はありました)。

それでも比較的馴染みやすい場があるとしたら。

第一に、あまりハイコンテキストで喋らずに前提からゆっくり確認しあってしゃべる場所。
端的に言えば、色々なバックグラウンドのかたが混じり合ってご参加される場所が、そういう傾向にあると思います。

あるいは、より "モノゴト" に対して熱意を燃やす場所でしょうか。
具体的な目標についてしゃべるとなると、"空気" を考えてしゃべる必要性はゼロになるとは言えないものの、弱まると推測しています。

口頭ではなくテキストで話すという手も考ええます。
今は幸いオンラインの会が多いですから、チャットに一言一句落ち着いて書くのだとすれば、より自分の言いたいことを慌てずに書ける。
そのように思います。

このように推測してみると、調子の出ないときも、それに適した場ややり方というのがありそうですね。

あるいはそれでも、という場合はどうでしょうか。

そんなとき、お金を払って話し相手になってもらう、というやりかたも無くはありません。

オンラインでも、少し探してみると、一応、話し相手になってくれるようなサービスがいくつか存在しているようですね。

商売上の間柄であれば、もちろん意図して罵倒するべきではないですが、もし意図せずにバツの悪い発言をしたとしても、それは許容してもらいやすいでしょう。
それに、必ず話し相手になってくれるでしょう。

まとめ

さて、色々なことを書いてきましたが、ポイントを絞ってまとめましょう。

少なくとも 2000 年前後での論文では、東京へ移住すると近くの友人が少なくなることが示されていました。
しかし、そんな移住後の生活においても人間関係が広がる、そうでなくても日々充実する、そのような可能性もアレコレありそうだ、と確かめてきました。

場所について吟味すること。

自分の中の「成功」「失敗」を吟味すること。

イマイチな日のホケンを吟味すること。

こうした吟味によって、大人になってからの人付き合いの広がりが支えられているんじゃないかな、というのがこの記事で考えてきた内容です。

もちろん、これは一個人の意見だし、また、広がるほうが "いい" というわけでもないのですが。

とはいえ、文であらわに書かれたこういうテキストは必ずしも多くないと思います。
なので、ぜひ (何となくご存知だったり、実践されてたりすることでも) 考えをまとめるのに活用頂いたり、ご友人にアドバイスされるときに使って頂いたりと、そういう風に使って頂けたら嬉しく思います。

それでは、ここまでありがとうございました。

また、モノゴトの海のどこかでお会いしましょう。

参考文献

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641220157

松本康, 有斐閣 2014


https://wezz-y.com/archives/72916

最終閲覧: 2020/04/20


https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000210663

平田オリザ, 講談社 2012

※ 日本では話しかける敷居が高いことについて等。
 コミュニケーションの方法を考える上でも参考にしたい点が多いです。

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