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パースペクティブ (10)

 会計を済ませて中華料理屋を出ると、だいぶ日が陰っていてあたりは宵の口という有り様だ。あれほど念入りに口元を拭ったというのに、マスクの内部はニンニクやら何やらの濃厚な匂いがしてかなわない。これは早く帰るに限る、先ほどより混雑してきた通りをスタスタと歩いてぼくは駅へと向かう。美しい街よ、さようなら。ごきげんよう、また会う日まで。ぼくの心中に去来するのは、得難い半日を過ごしたこの街への惜別と感謝の念であった。何やらずいぶん遠くまで旅した気がする、出会いと別れを繰り返し、こうして人は成長する。自分がビルドゥングスロマンの主人公のような気がして、よせやい、そんな柄じゃねえさ、とわざと伝法な言葉でつぶやきながら、だが通りを歩くぼくの頬は紅く染まっている。

 再び電車に乗って我が街に帰ってくると、見慣れた景色、先ほどは我が物顔で通りを闊歩していた小学生たちの姿も今はなく、しんと落ち着く心持ち、左右に体を揺らしながら我が心のジョージアを歌ったレイ・チャールズの気持ちがわかる気がする。片手には植木鉢、首尾よく果たした成果がここにある。あとはいとしの我が家に舞い戻り、窮屈な思いをしているあの若葉を救い出すのみだ。

 喜び勇んで階段を下り、街灯がつき始めた通りを何となくスキップしたくなって、タンッ、タンッと小さく飛びながら歩いていると、雨中にタップダンスをするジーン・ケリーになった気がして、植木鉢の入ったビニール袋を振りながらスキップするぼくを、だが遠くからやってきた高校生の集団がジロジロと見るものだから、ぼくは仕方なく、なるべく自然な様子でスキップから通常歩行へ遷移し、視線を合わさず彼らとすれ違った。

 そうして帰ってきた我が家、三階建てマンションの三〇二号室のドアを開け、朗らかに室内に入って灯りをつけると、ぼくは洗面台で入念に手を洗い、ついでにしっかりうがいまでして、これでようやく日常へ帰還する体制が整ったと安堵しているうちに、不意に眠気に襲われた。住み慣れたねぐらに帰ってくるとホッと安心し、それまで着ていた見えないバリアーを脱ぎ、心理的にも深く無防備になるのは動物の常である。そうでなくとも久しぶりの外出、しかも電車に乗ってよその街まで遠征してきたのだ、一気に疲労が押し寄せてきても不思議ではない、しかし不快なフィーリングはない、むしろ心地よい疲労感に包まれ、このまま何も考えず夢の世界へと誘われたい、柄にもなくそんなことを思ったぼくは植木鉢を放り出し、ジャケットをハンガーに掛け、その他の衣類を脱ぎ捨てるとベッドに倒れ込んだのだった。

 気がつくと、やけに体が重く感じられた。食べ過ぎたのかもしれない、なにせ久しぶりの外食だったのだから。レバニラ炒めは余計だったか、でもメニューを見たらつい食べたくなったのだから、膨満感もやむなし、望むところだと目をつむったまま怪気炎を上げたものの、どうにも腹部が苦しい。はち切れそうな重さを感じるので、これはまずい、何か良くないものでも食べたか、はたまた食中毒か、だが幸いなことに吐き気はあまりなく、時々オエップと催す気配はあるが、それはむしろ腹部が圧迫されてゲップが出るような感触に近いので、ここはちと様子見かな、とベッドの上で仰向けになっていたところ、腹の中で何かが動いた気がした。

 何かが腹中で蠢くとは穏やかではない、普通の病気であれば腹の中で何かが勝手に動き回ったりはしない、もしあるとすれば、考えたくないことだが、獰猛で繁殖力旺盛な異星生物の幼生が体内にいる可能性しか考えられない。突然の恐怖に叫び出しそうになりながら、ぼくは思わず目を見開き、薄暗い天井を見上げた。だが、こういう時に金切声を上げてはならない、それは怪物の幼生が哀れな宿主の腹を食いちぎって外に飛び出してくるか、叫び声のために大きく開けられた口から幼生の一部が体外に露出するか、いずれにしても目を背けたくなるような惨事が起こる前兆だと相場が決まっている。ここは叫んではいけないところだ。グッと堪えて冷静さを保ち、ぼくは天井を見据えたまま、そろそろと両手を腹部に当ててみた。腹はずいぶんと膨れている。嫌味だとか気取っているだとか思わないでほしいのだが、ぼくは結構スリムな体型をしている。BMIの値も通常と痩せ型の境界線上を行ったり来たりして久しい。ついでに言うと足も長い。だがどうしたことだろう、ぺったんこなはずのぼくの腹部は、蜂蜜をたんまり舐めた後の黄色いクマのようにまるまるとしているではないか。レバニラ炒めと天津飯だけでこのようになるとは思えない。しかも、何かが動く振動が腹の奥底から伝わってくる。これは沙汰の限り、いよいよ自分が狂ったか、それとも世界が狂ったか、どちらか一つに相違ない。

 だとすれば、どちらが異常を示しているのか、出来うるだけ客観的な指標でもって判断するのが科学的態度というものだろう。この部屋で一人恐怖に慄いていても始まらない、第三者の目でこの状況を観察し、事態の収拾を図るのが知恵者というもの。だが第三の観測者として誰を召喚すればよいのか、ご覧のとおりぼくは友人のいない一市民である、そもそも、友人がいないからこのような文章を書き始めたのだからして、かかる状況で呼び出す知己などおりはしないのである。第三者委員会を組織して客観的事実を観測するなど夢のまた夢だ。

 その時、脳裏に一条の閃光が走った。いる、たった一人だけいる、どうしても連絡を取りたくない最後の奥の手だが、一人だけいるではないか。こうなっては是非に及ばず、ぼくはそろそろと腕を伸ばし、ベッドの片隅に放置されていたスマホを取り上げると、電話帳の最深部に眠る封印された番号を指で押した。数秒間が数刻にも感じられる淀んだ時の中で、ぼくは目をつむり、電話に出てほしいような、出てほしくないような、複雑な祈りを捧げながらスマホを耳に押し当てた。

「もしもし」

 永遠に続くかと思われたコール音が突如終わりを告げ、冷たい金属の向こう側から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「もしもし」
「もしもし」
「やあ、ぼくだけど」
「どうしたの」
「あの、元気にしてる?」
「うん。そっちは?」
「あ、ぼく? うん、元気」

 嘘をつけ、何を気取って返事をしているのだ、こちらは危急存亡の秋、悠長に定型文で挨拶を交わしている場合ではない、そう思い直し、ぼくは彼女の声を聞いて俄に湧き上がってきた懐かしさやら親しみやらの甘酸っぱい感情を急いで嚥下し、努めて平静を装って言った。

「実は、お願いがあって電話したんだ」
「何それ」
「きみにしか頼めないことなんだけど、今、暇?」
「え、何? 何言ってんの?」
「突然で申し訳ないんだけど、ちょっとうちまで来てほしいんだ」
「なんでそっちに行かなきゃいけないの?」
「話せば長くなる」
「今ね、ご飯食べてるの」
「そうか、食事中に悪かった」
「食べ終わって、行けたら行くよ」
「わかった、すまない、ありがとう」
「じゃね」

 通話が切れ、ぼくは弱々しい笑みを浮かべてスマホをベッドに置いた。最後の望みは絶たれた、行けたら行くは行かないのサイン、きっと彼女は来ない、二年間お付き合いした経験から、ぼくはそう悟った。彼女の声に無慈悲で冷酷なトーンはなかった、むしろ意外なほど、彼女の声は柔らかく、屈託がなかった。別れても私たちはベストフレンド、別れ際にそんなことは言わなかったが、淡い思慕で包まれたぼくたちの友情は今でも続いていたんだ、そんな勘違いをしてしまう程度には、彼女の声音は落ち着いていた。だが、彼女は良くも悪くも自分を大切にし、自分のリズムを尊重する人物である。他者とハーモニーを奏でられる時はそうするし、不協和音が生じるときは他者とは関わらない、あくまでマイペースな人だ。そんな彼女が食事中にかかってきた電話に出ただけでも大したものなのだ。

 ベッドの上で重たい体を持て余しながら、さてどうしたものかとぼくは再び天井を見た。こうして大きくなったお腹を抱えて朝を迎えれば、何か事態が進展するだろうか、これはただの夢だったらどんなにいいことか、そう思いつつ腹をさすると、腹中の存在はおとなしくなったのか、先ほどよりは違和感がなくなっている。眠るならキッチンの灯りを消さないと、そう思いつつ、体が重く起き上がるのも難儀なので隣の部屋までがひどく遠くに感じられる。ええい、こうなれば眠るのみ、と心を決めて目を閉じて、体内の違和感をどこか他人事のように感じているうちに、ぼくは意識を失ってしまったらしい、気がつくとピンポンピンポンと部屋の呼び鈴が鳴っているのだった。

 普段あまり鳴らない呼び鈴が景気よく鳴っているのは案外耳に障るもので、サベジだ、チーだ、とあらん限りの悪態をつきながらなんとか上体を起こすと、万里はあろうかと思われるキッチンまでの距離をふうふう言いながら歩いていき、インターフォンの受話器を取ってどちら様ですか、と誰何の声を上げたところ、意外にも向こうから聞こえてきたのは彼女の声だった。

(つづく)


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