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#20. おもちゃ

(中盤あたりからネタバレを含みます。ご注意ください。)


 『トイ・ストーリー4』を、見てしまった。

…見てしまった、とわざわざ言うのは、今までトイ・ストーリーをわざと『3』で止めていたからだ。

 同じような理由で3までしか見ていないという人は少なくないのではないかと思う。だって、3のラストにあれ以上何を足せというのだ。あの後からどんなにウッディやバズが頑張ったって、見てるこっちは「でも3が終わりでよかったなあ」と思ってしまうに違いない。



…というのが、さっきまでの僕の主張であった。休日でちょうどプレイしていたゲームをクリアしひと段落着いたところというのもあり、他にも色々あって先ほど『トイ・ストーリー4』を鑑賞してしまい、今これを書いている。


 そんなわけでついさっき4を見終えたのだが、結論から言うとすごく面白かったし、見て良かったと思った。なんだお前手のひらクルクルさせやがってと思われるかもしれないが、これは仕方ない。食わず嫌いはダメだぞという反面教師に是非使っていただきたい。


 さて作品の話に入ろうと思う。『トイ・ストーリー』は1995年に公開された世界初のフルCGアニメーション長編映画だ。ピクサー制作のディズニー映画として絶大な人気を誇り、続編や関連作品を多数重ねて2019年に公開されたのが今回観賞した『トイ・ストーリー4』となる。


 まあもはや説明不要かもしれないが、作品最大の特徴は「おもちゃが実は生きており、自分の意思で動くことができている」、そして「おもちゃは動いている姿を人間には見られてはいけない」という設定である。そんな世界で、主人公のカウボーイ人形・ウッディをはじめとするおもちゃたちが人間に見つからないところでさまざまな大冒険(人間から見ればずいぶん小規模だが)を繰り広げる、というのが基本的な流れだ。


 まずトイ・ストーリー作品に共通して好きなのは、その作り込まれた世界観だ。おもちゃは人間より小さいので、おもちゃ視点で語られる世界は当然サイズアップされる。僕らがよく知ってる世界でありながら、広がっているのはまるで全く知らない異世界のような、そんな不思議な感じがたまらなく好きだ。身の回りの物を上手く利用した、おもちゃ達の咄嗟のアイデアも没入感を高めてくれる。

 もう一つ、僕が子どもの時からトイ・ストーリーを好きな理由に「おもちゃは持ち主を慕っている」というところである。アンディほどではないが様々なおもちゃ達と幼少期を共にしたみずしま少年にとって、大切なおもちゃ達が自分のことを好きでいてくれているという事実(...?)  は本当に嬉しいものだった。おもちゃは全部大切にしようと思わせてくれたし、もっといえば僕の「モノ」に対する興味・関心はこういうところから始まっているのかもしれない。

 だからこそ、『3』のラストは本当に心に刺さった。どんな時もアンディと一緒だったおもちゃ達がアンディを離れ、次の持ち主の元に渡っていくのだが、このラストシーンが本当にもう......(涙)。大学生になるアンディが今はもう全く遊ばなくなったおもちゃの名前も特徴も全部覚えてるし、ウッディをボニーに引き渡す時の表情や言葉全てに愛が詰まっている。アンディにとってウッディやおもちゃ達がただの遊び道具以上の何か、まさに本当の友達のように思っていることがこれでもかと伝わってくる。自分も昔遊んだおもちゃ達のこととか思い出したりして、また子どもの頃からずっと見ていたアンディとウッディの別れを想像して本当に感動した。ちなみに「3」は何度か見ているが、今のところ100%ラストで泣いている。



 そんなトイ・ストーリーの特徴「おもちゃと持ち主の関係」が、「4」では見事に全てひっくり返されてしまった。ここが「4」の最も大きいポイントだった。あえて誤解を招くような過激な表現を用いていえば、これまでのトイ・ストーリーが否定されてしまったとも言えると思う。


 詳しく書くと、それまでのトイ・ストーリー作品で破られることのなかった「おもちゃは持ち主の所有物である」というルール(書いていて思ったが現実世界では至極当然のことか)が「4」で破られてしまった。20年ぶりに作品に登場したボー・ピープは紆余曲折あってアンティークショップに売り捌かれた後、誰のものでもない「迷子のおもちゃ」として外の世界を生き抜いている。

 このボーの存在は、従来のトイ・ストーリーでは存在しない位置付けのキャラクターであった。持ち主の元にいるわけではなく、かつ持ち主の元に戻ろうとしない、いわばフリーランスみたいなものだろうか。そんな自分の境遇を、ボーは「自由」と感じ、楽しんでいるように見える。

 これまでウッディをはじめとするおもちゃ達の存在意義であった「おもちゃは持ち主の所有物である」、またウッディの言葉でいえば「おもちゃはアンディにとっての(持ち主にとっての)唯一の本物」「おもちゃにとっての幸せは持ち主を幸せにすること」ということが、実はおもちゃを縛っているのではないか?という疑問を投げかける事になっている。このテーマにはとても驚かされた。

 そしてこの点が、「4」の評価が賛否両論となった大きな原因になったんだろうなと推測できる。だって、本当に今までのトイストーリー全部ぶっ壊しちゃってるもんね。「4」のボーの存在を容認するということは、今までの1〜3であんなにウッディやバズが必死に「持ち主の元に帰りたい!」と頑張ってきたのが全て否定されてしまうに等しい。それどころか、トイストーリーの世界そのものの均衡が乱れてしまうことにも繋がりうる。岡田斗司夫氏はこの点について「『いつまでも変わらない世界』が好きな日本人はこういう展開が好きじゃないので評価が低い」と表現している。確かに、好きだったトイストーリーの世界が少なからず崩れてしまうことに関しては自分も一抹の寂しさを覚える。

 しかし「4」のラストシーンを見て、そこにネガティブな感情は残らなかった。ボニーの家に移った後、アンディのおもちゃではなくなっていわば自分の役目を終えたウッディや、アンティークショップのおもちゃ達、ボニーの家に留まるバズやその他のおもちゃ達、それぞれの「第二の人生」がラストシーンからエンディングにてなかなか良く描かれている。特に、ラストシーンのウッディとバズの掛け合いなんかは深く感動した。このコンビも本当にエモくてですね...(涙)。



 正直まだまだ描き足りないのだが、ここまでで結構な文字数を書いてしまったので勝手ながら一旦ブツ切りさせていただく(現在am2:40...)。


(part2に続く)

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