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なぜ、桜はこんなにもエモく、大人はこんなにもダサいのか

今年は桜の開花が遅い。

多くの人が、開花のニュースをまだかまだかと待っている。
「今年は関東でも桜の入学式になりそうですねえ」
そんな会話が交わされたりする。

私たちが桜にエモさを感じる理由

なぜ、こんなにも日本人は桜が好きなのだろう。
一気に咲いて、パッと散る。
その潔さ、はかなさが、私たちのDNAに刷り込まれた無常観に訴えかけるのだろう。

でも。
無常を愛するからといって、もし桜の木が毎年植え替えられていたとしたら?
こんなにも「エモさ」を感じるだろうか。

何十年、何百年も生き続けている木が、毎年花を咲かせ、散る。
そこにいるのは同じ桜の木だけれど、咲いているのは昨年と同じ花ではない。
だからこそ私たちは、心を動かされるのではないか。

列をなす15歳に教えられた

先日、我が子が卒園した保育園の集まりがあった。
久しぶりに会った同級生たちは、それはそれは立派に成長していた。おむつをしていた頃からお互い知っているだけに、感激はひとしおである。

全体での乾杯のあと、その卒園生たちが園長先生の前に列をなし、一人ひとり乾杯していた。
卒園生といってももうすぐ高校生だ。親の背丈をとっくに越した少年たちが自ら列をつくっていそいそと先生と乾杯する姿は、ほほえましかった。

園長先生はとても嬉しそうだったし、そばで見ていた私はといえば、目をやけに瞬かせていた。

この子たち、小さい頃からこうして、ことあるごとに先生の前に列をつくっていたんだろう。
「せんせい、かんぱーい」
「◯◯もー!」
「はいはい、順番だよ。並んで並んで」
そんなシーンが勝手に脳内再生され、涙をこらえるのに精一杯だったのだ。

大人たちの会話では、
「みんな、すっかり立派になって」と
「でも、小さい頃から変わらないよねー」が何度も繰り返された。

変化する花、在り続ける幹

私たちって、変化するものと変化しないもの、両方があると感動するみたいだ。

同じ木が毎年花を咲かせる。しかしその花は不変ではなく、かならず散っていく。

赤ちゃんの頃の面影を残し、「相変わらず」な面もたくさんあるけれど、びっくりするほど大人になっている部分もある。

変化する部分、しない部分。
子どもは何も考えずとも、自然にこの2つを実現している。

一生懸命生きているだけで、変化すべきところはぐんぐん成長して変わっていくし、その子の「幹」となる部分はそのまま生き続けるのだ。

私たち大人はどうだろう。

変化させるべき部分を、後生大事に抱えていないだろうか。
大事にしたい幹の部分を、いとも簡単に壊していないだろうか。

何が自分の幹なのか、何を咲かせ、そして潔く散らせるのか。
年をとればとるほど、取捨選択しなければいけないのかもしれない。

あなたの幹はなんだろう。
そして、あなたが今年咲かせる花はどんな色をしているだろうか。
思い切り咲かせて、散る準備はできていますか。






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