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苦痛の贈与

何らかの事件の容疑者が逮捕されたとき、YouTubeに上がっているニュースのコメント欄には、こんな文言が並ぶ。

「被害者と同じ目に遭わせろ」
「与えうる苦痛すべてを与えて殺せ」

仮に死刑が執行されるとして、死ぬ前に苦痛を与えるのと与えないのとで、何か違うのだろうか?

「死」という結末が同じならば、そこに行き着くまでの過程で苦痛を与えようが与えまいが、結果としては何も変わらない。

だというのに、なぜ「苦痛を与える」ことが重要なのだろう?

しかも、「苦痛の重視」は最近に限ったことではない。
凌遅、炮烙、ファラリスの雄牛、車裂き、火あぶり、磔、鋸引き──不思議なことに、残虐な処刑方法は古今東西に見られるのである。

それに、「苦痛の重視」は公的な刑罰以外のところでも見つかる。

例えば、呪術や都市伝説においても「血や肉など、人体から切り離すのに大きな苦痛を伴う部位の方が強力」みたいな話はよく聞く。

他にも、旧約聖書で神がアブラハムの信仰心を試すために命じたことは「愛する息子イサクを殺して捧げろ」であった。
ここでも、苦痛の試練を乗り越えることが忠誠を示すために要求されているのだ。

加えて、グレーバーは『ブルシット・ジョブ』の中で「労働の場においては『労働は辛ければ辛いほど人間的な成長のために良い』という倫理が働いている」といったことを指摘している。

もう少し卑近な例だと、恋人の愛情を確かめるために「試し行為(監視、束縛…)」をするといった話もよく聞くのではないか。

このように、「苦痛」の重視は洋の東西を問わず、古代から現代に至るまで続いているのである。

おそらくだが、それは「苦痛」が愛憎や信仰や忠誠心──ある種の「能動的な感情」の程度を知るための試金石となるからだろう。

切り離すのに大きな痛みを伴う部位を切り離したならば、それは、その人の情念の強さを示す証となる。だから、呪術的にもより強力なのだ。

愛する息子を殺して捧げたならば、それは、親が自分の子に注ぐ愛情以上の信仰心を神に抱いていることの証となる。

では、辛い労働に耐え続けたならば──それは何を証しするのだろうか?

おそらく「労働の苦しみ」が、誰に、なぜ贈られているのか、我々の多くは自覚していない。

だからこそ、労働は「辛ければ辛いほど」良いということになるのだ。
誰に、何を、どの程度示せば良いのかも分かっていないのだから、ただただ、ありったけの苦痛を捧げ続けるしかないのである。

誰もそのことに疑問を抱かないし、そこに終わりはない。
「イサクを殺したら、次はサラを殺せ、その次は……」などと言うがごとし。

何かというと「自己成長」。この「成長」に終わりはない。
ある水準を超えたら更に高い水準をクリアするように要求され、いつか潰れても「自己責任」「周囲/社会のせいにするな」……

(恋人への「試し行為」も似たようなところがあるよね)

それは、ひょっとすると「神」と呼ばれるものから、物理的な現実世界に立脚した宗教的色彩が脱色された影響なのではないか。

呪術は形而下で働くから、その「苦痛」は極地に至っても、現実世界の人間の身体の域を超えることはない。

少なくとも『旧約聖書』で描かれるキリスト教神は人格神だから、「息子を捧げる」という具体的な行為で満足した。

しかし、「労働の倫理」を要求する「神」は非人格的なので、現実の人間の限界というものを知らないし、満足もしない。

だからこそ、労働の倫理は、現実の人間の範囲を飛び出して、時間・空間を超えてどこまでも組織化された「生産的労働の苦痛」を無限に要求するようになった……のかもしれない。
宗教が絶対的なものとみなされなくなった今日においても。

(予定説を信じるプロテスタントにとっての「神」とは、まさにそのような峻厳で非人格的な存在だった)

まあ、労働の倫理について、ここで立ち入って論じる気はない。
こんなもん私がわざわざ書かなくても、他の誰かがとっくに書いているだろうし。

冒頭の刑罰の話とあわせて、とりあえず今回言いたかったのは、
「苦痛」とは偉大な何かへの「献げ物」なのであり、それは迷信や呪術から解放されたと信じている今の我々にとっても例外ではない……ということである。

だからこそ、科学が隅々まで浸透した21世紀の日本においても、
「ありったけの苦痛を与えろ」
といった文言が飛び出してくるのだ。

(その是非は措くとしても)ああいったコメントを残す人々は、加害者の苦痛をもって「正義」への献げ物にしようとしているのだろう。

そして、その「正義」は、おそらく近現代の「法治国家」とは本質的に相容れないものだ。

(「遺族感情」とかね。「家族」とか「感情」とか、属人的要素をとにかく排除して没人格化を進めたのが「法治国家」だもの)

それゆえ、日本では未だに「『先進国』では廃止されつつある」死刑が残っているのかもしれない。

…「先進国」って何だろうね。
「先進」した先に何があるのだろう。やっぱり、「感情」の要素を徹底的に排除した、非人格的な国家システムかな?

まあ、とりあえずはいいや、長くなりそうだし……
今回はこの辺にしておこう。おやすみ。

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