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「濁っていない」人と一緒に働きたい。

昨日ちょうど採用のことで代表(@meiem326)と話していて、「どんな人と働きたいか?」という話題になったんですが、私たちの結論は ”濁っていない人” でした。この視点は結構大事にしていて、人は良いことも悪いことも、綺麗なことも汚いことも、一通り経験すると、逆に濁らなくなると思っています。

ちょうど先日、社員に「なんでそんなに謙虚でいられるんですか?」と言われたんですが、私自身は別に意識している訳でもなく、それが自分にとって必要だと感じているから自然とそうなっています。

ただ昔からそうだったかと言えば、全然そんなことはありません。社会人2〜3年目くらいまでは、会社の成長なんて1mmも考えていなかったし、会社が目標未達でも自分の成果が出ていればそれで良いと思っていました。当時の代表からも”一匹狼”と言われ続け、自分が成果を出すことしかやらない状況。それでもがむしゃらに努力をし続けることはできていたので、トップの成果を残すことはできていました。

そこから組織の転換期の迎え、自分もマネージャーとして部下を持つようになりましたが、トップの成果を出している自分のやり方が正解だと確信していたので、とにかく一方的に教え込むみたいなマネジメントスタイル。もちろん部下と自分は全然違う人間なので、できないのが当たり前なんですが、そこでも「え?なんでできないの?」くらいにしか考えていませんでした。

いま思えば、承認欲求や願望、プライド、見栄にまみれていて、濁りまくっていた時期だと思います。

ただそこから訪れたのが、マネージャーとして数字を全く出せないことへの焦りと、個人でいくら売り上げても残る虚しさ。追い討ちをかけるように、お客様からのクレームや契約違反企業の対応、社員の立て続けの退職など、色んなことが重なりました。肉体的にも、メンタル的にも、しんどい時期でした。

そしてドン底くらいに落ちた時にはじめて、濁っていた価値観が少しずつ濾過されていき、本当に大事なものとかが見えるようになってきました。もちろん時間はかかりましたが、全て貴重な経験であり、その経験が積み重なって今の自分があると思えるようになりました。

経歴書を見ていると、学歴や在籍企業のネームバリュー、営業成績などに目がいきがちですが、本当に大事なものって「その人がどんな経験をして、どんな価値観を持っていて、良い面も悪い面も感じた中で、いま何を考えて生きているのか?」だと思っています。これは年月の問題ではなくて、どれだけ自分をちゃんと理解しているか次第。一度濁りを経験した後に濾過された人は、どんな状況でも変化していける柔軟さと動じない人間性を兼ね備えていると思うし、楽しいことも辛いことも共有できる人だと思っています。

・濁っていないから、素直に意見を受け入れられる。
自分の意見が全てではないと理解しているから、相手の意見を素直に受け入れることができる。

・濁っていないから、謙虚に努力し続けられる。
変なプライドや見栄が自分の成長の妨げていることを理解しているからこそ、純粋に色んなことから学ぶ姿勢でいられる。

・濁っていないから、違いを尊重することができる。
人それぞれ得意・不得意があり凹凸があることが個性なんだと理解しているから、相手を尊重すことができる。

・濁っていないから、本質を見極めることができる。
酸いも甘いも経験してきて、散々回り道をしてきたからこそ、本質が何かを見極めることができる。

・濁っていないから、堂々と生きることができる。
散々濁ってきたからこそ人から後ろ指を刺されるようなことをしないし、堂々と生きることができる。

順風満帆でキラキラのキャリアをしてきた人よりも、過去の成功体験を振りかざしてくる人よりも、自分の収入にしか興味がないトップ営業マンよりも、泥水から色んな経験を経て真水に濾過されたピュアな人と一緒に働きたいと心から思っています。


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