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【第一話】いきなり暗黒時代へ突入!自分に自信が持てず、周囲に支えられて生きた話【マイヒストリー】

こんにちは。自動車部品メーカーでモノづくりB to Bマーケ×セールスを担当してます、田崎遼です。

今回、以下のような経緯からブログを始めることにしました。
詳しくはこちら

https://note.com/a16014z/n/n6b810df5282b


で、このパートではわたし田崎遼の生い立ちを語っていこうかと思います。
名刺代わりに、まあ気楽に読んでいってください。
という割にいきなり重い題ですが笑

でも、わたしが「組織」を大切に、周囲を大切に生きていくうえでの
原点がここにあります。なぜいまの会社で働き続けているのか?
ものづくりに拘る理由は何なのか?
読んでもらえると嬉しいです。

さて、さかのぼること1989年の夏、田崎遼は生を受けました。


幼少期は男の子にしては珍しく何でも食べるこどもで、
(もどしちゃったり食器をひっくり返すこともなかった)
黙々と食事をとっていたそうです。

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一見すると順調そうにすくすく育っていましたが
3歳ごろから、病気がちになります。


アトピーで顔や腕、足が真っ赤で、なおかつぜんそく持ち。
発作で夜中に病院に運ばれることなんてざらでした。


今でも時々、息が絶え絶えになりながら父が運転する車の中で
ぼんやりこのまま死ぬのかなあと考えていたときのことを思い出します。
いやまあそんな死ぬほどでもないし、吸入器つけたらケロっと寝ちゃってたんですけどね。
幼少期にこの経験は大きくわたしの人生に影響を与えました。たぶん。


そんな中、母もなんとかぜんそくとアトピーを好転させようと
プールに通ったり、空気の美味しい場所で静養したり
とにかく必死に、やれることは何でも試していたように思います。
(母は偉大。本当に感謝ですね。)


それでも夏場は汗疹が全身にできて包帯を巻きながら過ごしていました。
天候が崩れてくるとぜんそくの発作。埃っぽくなっても発作。
激しい運動をしても発作。発作だらけの幼少期で、布団にくるまって
ぼーっと外を眺めている光景が目に焼き付いています。


小学校入学前までに、なんとか好転するものの
顔には目の周りを中心にアトピーが残り、
ほこりっぽい環境だと発作を起こしてしまう状態でした。


クラスの同級生からは「キモイ」と言われて少々はぶられていた時期もありました。
病気がちだと当然、やせ型なので「もやし」とも言われていました。
散々っぱら、今思えばいじられていたんですけど、その当時の自分は


「ほんと瘠せてるよねええええ自分でも気持ち悪いと思うもっと太りたいからおかしちょうだい!」


なんて気の利いた返しはできず、黙ってひたすら耐えてました。
小学校低学年まではそんな暗黒時代をまっしぐら。

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(友だち全然いなかったなあ。)


でも、そんな自分でも仲良くしてくれた親友がいて。
まったくみんなと遊べなくて、輪に入れずさみしがっていたわたしと
いつも一緒に遊んでくれて、さみしさでいっぱいにならずに済みました。
本当に感謝です。


それでもやはり、みんなと一緒に遊べない、うまくコミュニケーションが取れないので


「めちゃくちゃさみしい」


という気持ちは中々解消されませんでした。
大人数で、溶け込んでみんなと一緒に遊んでみたい。
そんな思いをずーーーっと抱えながら、小学3年生のときに転機が訪れます。

続きはこちらから。

https://note.com/a16014z/n/nb985ce59ccb9

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